ついに、連載最終回 「一人でやっていけるかなぁ〜?」

  • 2014.10.07 Tuesday
  • 17:42
みなさん、もう連載の事忘れちゃってますよね?
ですよね〜(^^;)
でも、連載って掲げたので、きちんと最終回で締めくくりたいと思います。

41歳から大学へ行き、腎臓移植そして移植腎の摘出、
そして、両親の死と学業もプライベートもてんこ盛りの密度が濃い大学生活が終わり
バーンアウトなのか、心にぽっかり穴のあいたような寂しい気持ちに浸っていました。

しかし、「あ(;´∀`)、グズグズしていられない。早く次の手を考えなくちゃぴのこ:)」と
産業カウンセラー養成講座に通うことに決めました。
産業カウンセラー試験には、実技と学科があるのですが、
養成講座に通えば、実技試験が免除になるものと思っていました。
(大学の同級生が、先に1年前に卒業していて、養成講座に行った人は、みんな免除になっていたので)

ところが私は、免除にならず、初回の産業カウンセラー試験にも
なんと学科と実技の両方とも落ちたのでした(TT)
今思うと、「ここで落としてくれて神様ありがとう」だったのです。
なぜかというと、悔しくって、悔しくって、猛勉強できたからです。
分厚いテキストのほぼすべてをリコーダーに録音して、透析中や運転中や家事など
聞いていられる時間のすべてを、録音した自分の声を聞いて過ごしました。

実技のほうは、ありがたいことに養成講座のメンバーが自分たちの試験がおわっているにも関わらず
ロールプレイにつきあってくれたり、大学の勉強仲間や多くの友人たちにつきあってもらったり、
ブログを見ていてくれる皆さんの応援もあって
今度は、なんとしても合格しなければならないという思いで再チャレンジしました。

これでダメなら、カウンセラーにはなるべきではないのかも知れないと思っていましたので、
合格通知を見たときは、
「私は、カウンセラーになってもいいのだ」と何か目には見えないどこかからの許しを得たように感じました。
ただこの時はまだ、遠い夢のような話で、具体的な計画も何もありませんでした。

プライベートでは、移植したあたりから夫婦関係のほうがギクシャクしていました。
ある日、情緒不安定だった私が、ずっと帰ってこない元夫に対して
こちらを振り向いてもらいたくて、通帳と印鑑を家に置いて家出をしたのをきっかけに
夫婦関係が氷つきだしました。
兄にも離婚を反対されていたし、私自身も一人では精神的にも経済的にも生活出来ないだろうという不安と
一方で、このままの結婚生活を続ける虚しさとの葛藤でずっと悩んでいました。
そして、安定した生活を捨てて、どうなるかわからない未来のほうを選んだのでした。
http://orukas.jugem.jp/?eid=183

「さぁ、これから、どうやって生活していけばいいのだろう!!」

とりあえず、どこかに就職するためにも役立つものと思い
離婚した翌年の1月から職業訓練校(パソコン)に行き、同時期に産業カウンセラー試験を受けて
その年の3月に合格通知がきました(^0^)
http://orukas.jugem.jp/?eid=205

心理職の就職先を、ハローワークで探しました。
障害者枠でも探してみましたが、まったく見つからず
これまた、どうなるかわからないけれど、やってみなければわからないという事で
石橋がなくても渡ってしまう無謀な私は、
メンタルカウンセリングのOruka's roomを開設してしまいました。

考えたら私には、計画性なんてありませんでした。
だけど、ずっと心の中に描いていた漠然とした夢に向かって
少しづつ進んでいるだけでしたし、これからも夢に向かっていくのでしょう。
まだまだ、夢の途中で何も成し遂げてはいませんので、
どうぞこれからも、未熟な私を応援して頂けると嬉しいです♪

みなさん、長期にわたりオルカの自叙伝におつきあい頂き
本当にありがとうございましたm(__)m
みなさんのお陰で、モチベーションを保ちつつ最終回を迎えることができました。


記事と何の関係もない兄ん家からのワンショット♪

連載第13回 「41歳の主婦大学生」

  • 2014.09.25 Thursday
  • 13:34
高校の卒業式は、ひとりでとぼとぼ会場に向かったわけですが、
誰にも「おめでとう」と言ってもらえないのも寂しいので、
晴れて高校卒業したことを母親に報告して「よかったね♪」と一言がもらいたかったのですが、
予想外の反応でちょっぴりがっかりしました。

あれだけ長い間、高校中退の事を嫌がっていたのに「私、やっと高校卒業したよ」と伝えたら
「ふ〜ん、それで・・・(以後自分の話)」と、さっと流されてしまいました(:;)
無理もありません。もうボケかけているのですから(笑)
この時私は、この歳になってもまだ母親の承認を得たかったのだと気づきました。

なにはともあれ、これで、いよいよ念願の心理学を学ぶ準備ができました(^0^)
透析をしながら行ける学校を探すために、この頃からインターネットというものを活用するようになりました。
ネットの世界を知らないときは、危険で怪しいものと思っていましたが、
家にいて世界中の情報が見れるのは便利なもので、
通信教育で心理学を学べる大学を数校見つけることが出来ました。

その数校の中でも、スクーリングに通える範囲で透析時間を確保できるもので、
なおかつカリキュラムの内容が充実しているものとなると、
「ここしかない!!」と直感で決めた後はもう何の迷いもなく入学準備に取り掛かりました。

志望動機には、カウンセラーになりたいことと心理学を学びたいという二つの思いを書きました。

初めて家に教材が届いた時の喜びは今も忘れません。
高校を中退してすぐ働きだして、同級生だった友達が大学生になった時・・・
みんながキラキラが輝いて見えて楽しそうで、すごく羨ましかった事を思い出しました。
あの時は強がって自分の気持ちに蓋をしていたけれど、
あの羨ましかった大学生に自分がなれるんだって思ったら、
まだ何の勉強もしていないのに、なんだか誇らしい気持ちになりました(笑)

パソコンでミニテストや単位認定試験を受けたりレポート提出したりするので、
パソコンが出来ないとお話にならないので、パソコン教室にも行き、
mixiの同じ大学のコミュに入って、どんな参考文献がいいのか?などの情報を得たりしながら、
日々、学びたかった心理学の勉強をしていました。

レポートを書くのも初めてだったので、本を読んだり同級生に聞いたりしながらなんとかこなせたんですが
スクーリングは、午前と午後のコースに出ると透析に行く時間に間に合いません。
なかでも、認定心理士の資格取得に必須の「心理学実験実習中級」が、
4日間連続の午前午後のコースなので、どうやって調整しようかと悩んでいたところに
連載番外編「オルカの移植体験記」orukas.jugem.jp/?eid=315 でお伝えしたように移植の話がありました。

大学へ行きだした頃に父が他界していたこともあって、
天から見守ってもらっていると大船に乗ったつもりでしたが、残念なことになって、
結局、リベンジで次の年に、大学のそばで透析クリニックに近いホテルに泊まりこんで、
大学の事務局や心理学実験実習のメンバーに事情を話して、授業を早退させてもらいながら
なんとか実験実習の単位を修得することができました(^0^)

大学の実習メンバーのみなさん、その節はどうもお世話になりました♪(確実にだれもココをみてませんが)

別の講義で大学のスクーリング中に、兄から連絡があって母の緊急入院を知らされて
慌てて帰りに病院に行ったら、ICUに入っている母の姿を見て愕然としました。
私は親不孝ばかりしてきたなぁ〜と悔やみました。
そして、母はその年の12月に、兄と姪っ子の誕生日をさけた日に逝ってしまいました。

そんな山あり谷ありクロードチアリ(再び登場)の大学生活も無事卒業迎えることが出来ました(^^)
卒業式には、現役卒業生のように袴まで着てしまいました(^^;)



思えば、知識や希望は、だれも私から奪うことが出来ません。
父を失ったとき、母が亡くなった時、大学で学んだことも役立ちました。
そして、多くの方々に支えられて生きていることを改めて知って
私は、カウンセラーになる夢をより強固にしたのでした。


 

連載第12回 「39歳の主婦高校生」

  • 2014.09.10 Wednesday
  • 18:38
めぐみの雨といいますが、どこかに集中しなくてもいいんだけどなぁ〜
雨が降って欲しいところに、異動したり出来ればいいのになぁ〜

こちらは、降ったりやんだりを繰り返しています。

さて、とある予定がなくなって、久しぶりに連載を再開いたします。

連載第12回「39歳主婦の高校生」

透析に、なってもいつか離脱出来るはずと思っていましたが、いい加減1年も続ければ、
これは離脱は、出来ないんだろうなと気づき始めます。

マーフィーのゴールデンルールに心酔している私は、
ネガティブワールドにハマる度に
「よい事を思えば良いことが起き、悪いこと思えは悪いことが起きる」を
思い出して、ネガティブな思いを打ち消していました。

「透析ってなぁに、私はどうなるの?」の回で、妊娠は諦めて下さいと言われたときは
ショックでしたが、その前に緊急で運ばれて病気が発覚したとき、
実は、「これで私は、頑張らなくても許されるんだ」って、心のどこかで
楽になった気持ちもありました。
それは、物事のよい点に焦点を当てるゴールデンルールが身についていたからばかりじゃなくて
実際に何が追い詰められていたものから解放された感覚がありました。

透析生活も慣れてくると、自己管理もできるようになって
体調も落ち着いてきて、同じクリニックの方から「腎友会」なるものを教えてもらい
気持ちを共有できる仲間が出来たり、気持ちも安定してきました。

透析の時間は、確かに片腕が自由にはなりませんし、ベット上で過ごさなければなりませんが、
「私が私のために、誰にも邪魔されず堂々と使える唯一の時間」とも言えるので、
本を読むようになりました。

そんな透析中に読んだある本「シーラという子」が、
その後の私の人生に、大きく影響を与えました。

透析になって、社会のお荷物になっているセルフイメージが心のどこかにあって、
私も誰かの役に立ちたい。何か出来ることがないかを求めていた私の心に
ストーンとハマった一冊でした。

「身体はボロボロかもしれないけど、精神は健康(?)だし、メンタルケアは出来るんじゃないの?」
誰かのメンタルケアがどれだけ大変な仕事なのかは、その時は思いもせず、
やりたい事が見つかった私は、心理カウンセラーを目指すようになりました。
そして、その後に読んだ「24人のビリーミリガン」「失われた私」「ジョニーの中の400人」などを
読み進めるうちに、心理学に強い興味を持つようになりました。

「心理カウンセラーになりたい」「心理学を学びたい」というこの思いは、どんどん揺るぎないものとなりました。

さぁ!!心理学を学ぶために大学へ行こう!!と思ったら
「あ(;´д`)!私は、高校中退したんだった」と思い出して、
慌てて、透析しながら行ける高校を探しました(笑)

実家の近くの県立横浜平沼高等学校には、通信制があって、授業のカリキュラムを調べると
なんとか通えそう(スクーリング)な時間スケジュールだったので、出願申込をしました(^^)

通信ですが、ちゃんと面接もありました(^^;)
オルカこの時、39歳主婦、ドキドキの面接風景です♪

県立平沼高校の1クラスに、30名ぐらいの10代〜40代ぐらいの男女が順番を待っていました。
先に面接を受けた人が、次に入る人を促すシステムだったように記憶しています。
前の人が促すときに、顎で指図したのが感じ悪かったので、
私は、「○○番の方、どうぞ」とエレベーターガールのように促したのを覚えています・

別の場所にある面接室には、同年代の男性面接官と60代ぐらいの男性面接官が二人いました。

ニコニコしながら面接室に入るオルカに面接官は、一般的な志望動機を聞き、最後に
面接官 「どうして、前の学校をやめたのですか?」と聞きました。
オルカ 「・・・20年以上前なので・・・ちょっと記憶の整理が・・・」
と言い終わらないうちに、
面接官 「あ、ま、いっかもう、昔の話ですからね・・・あはは」
オルカ 「あはは・・・そうですね〜」
という感じで、なごやかに面接が終わり、無事に高校生活が始まりました。

高校生活は、久しぶりの座学や体育の授業で、10代とか20代の子達とふれあうことが出来て楽しかったです。
目標があって行ったので、オルカはとても真面目に高校生活を送り、
札付き中学生だったオルカからは、考えられないような優秀な成績で卒業しました。
卒業式は、仲良くなった小学校の男の子を女手ひとつで育てている友人が、「卒業生の言葉」を述べ、
式が終わった後に有志で、先生を囲んだお食事会をしたり、
通学生とは違い派手なイベントではないですが、味わい深いものでした。

さぁ、これで、ようやく心理学を学べる準備が整いました。
次は、どんな世界がオルカをまっているのでしょうか?

すいませんm(__)m  まだ、つづく・・・

 

妄想未来日記♪

  • 2014.09.02 Tuesday
  • 11:32
みなさ〜ん こちらは、夏がまた戻ってきました(^0^)

先日、演者が入院中のために、急遽ますかっと役員から頼まれた移植体験談のために
「もう忘れちゃったなぁ〜」と過去ブログを見直してみたら
過去に私が書いた妄想が、現実になってて驚きました(@@)

「ただの自己満足日記」http://orukas.jugem.jp/?eid=69

夢を描くのは自由なので、現実とはかけ離れていても
明るい未来展望を描いててよかったなぁ〜(^^)と
過去の自分に救われました♪

さて、神奈川県腎友会 青年部ますかっと主催
2014 だれでも参加できる勉強会 「移植について」
9月7日(日)かながわ県民センター 305号室 13時30分〜
東京女子医科大学病院 移植コーディネーター 岡部 祥 さんの後、
ちょっことだけ、体験談を致します♪
※ 詳細は、神奈川県腎友会HPをご覧下さい。

だれでも参加できますので、気が向いたら覗いてみてくださいね〜(^0^)

 

連載第11回 透析ってなぁに?私は、どうなるの?3

  • 2014.08.19 Tuesday
  • 12:37
生きているのか?
死んでいるのか?
このまま、私は、この暗闇から抜け出さずに、死んだように生きるのか?という状態から
緊急で運び込まれた川崎の井○病院にて、担当して頂いた先生が、
あまりに気軽に透析のことを説明されたので、
単純な私は、点滴程度の感覚で透析室に向かいました。
あるいは、絶不調なので、「もうどうでもいいや!」
という感情が麻痺した状態であったかもしれません。

初めて入った透析室には、ずら〜っとベットが並べられており
患者さん方は、寝ていらっしゃるようで、とても静かでした。

私の導入期の17年前は、すでに命懸けの透析ではなかったんですが、
それでも血圧が下がったり、ずいぶん辛そうにしている方もいらっしゃいましたが、
私は、比較的にスムーズに、初透析が終わり
透析室から自分のベット(病院の中)に帰って
机の上に置いてあったお食事を見て、飛び上がりました(^0^)
「きゃー!!天ぷらだー(^0^)」←私の心の中
ずーっと、ずーと、食欲がなくて、何も食べられなかったのに、
お腹がすいた感覚が戻って、ぺろっと完食してしまいました(^^)
だからと言って、早く透析やればよかったとも思わないけれど、
もしかしたら、元気になって治るのかもなどと思っていました。

不治の病ということは、理屈ではわかっているですが
希望や楽しい妄想を描くことは、私の趣味なので、
バカにする人もいるけれど、「あらぬ妄想」は止められません(笑)

そんなこんなで、透析が始まり、その病院から外出して、横浜の第○病院へ
「シャント手術(1時間半)」をして、夕方に戻るという入院中に
他の病院で手術という病人らしい病院ライフを送りながら
無事、1ヶ月半ぐらいで自宅に戻って参りました(^^)
※シャント手術・・・動脈と静脈をつなぐ手術で、静脈に多くの血液が流れるようにする。

いまや、まったくこのシャントの音が気になりませんが、
当時は、シャンシャン、うるさくて、うるさくて、
寝るときなど、腕をぶった切ろうかと考えたぐらいです(笑)

今思うと、あの時、貧血でヘロヘロになりながらも
なんとか病院へ行って、無事透析が出来てよかったなぁ〜と思います。

本当に、家族や友人、医療スタッフのみなさんに感謝です。


あの当時は、もっと薄くてオレンジ色の血液だったけど、
今は、真っ赤な血液が流れています(8月18日撮影)

連載第10回 「透析って、なぁに?私は、どうなるの?2」

  • 2014.08.12 Tuesday
  • 16:13
「男の愛は、肉欲、女の愛は、執着よ」
昼顔という番組で、りかこ(役名)が言った言葉です。

女の愛は、執着・・・これは、よくわかります。
あ〜執着するのは、わたしだけじゃなかったんだと妙に納得したセリフでした。

前置きはこのへんにして、それでは、連載の始まり、始まり〜(^0^)

「貴方とずっと続けていく自信がないの」とオルカは、KEIに静かに言い放ちました。
でも、心の中では、支えを求めて、すがりつきたい気持ちだったんだと思います。
KEIの方から、別れたくないと言ってもらい安心感を得られればと
自分に都合の良い答えを待っていましたが、
KEIは、俯いてしばらく沈黙の後、大きな身体に合わない小さな声で、
「わかったよ」と言いました。

しばし重ぉ〜い空気が流れ、帰ろうとした(この時は別居婚でした)
KEIの後ろ姿が切なくて、胸が張り裂けそうになりました。

「今、この人を失ってはいけない!!」という私の内側からの
強いメッセージを感じて、後ろ姿にもたれて、
「ごめんなさい。ごめんなさい。本当は別れたくない」と言いました。

今思うと、ブンブンKEIさんの気持ちを振り回して申し訳なかったなぁと思いますが、
その時のオルカは、こんな子供の産めない女なんて・・・そのうえ、
これからどうなるのかもわからない病気の私と一緒にいてもらっていいのだろうか?
お荷物になりたくない気持ちと捨てられるんじゃないか?
という不安で惨めな気持ちが絡み合って、うつ状態だったんだと思います。

オルカは、この時、決意しました。
今後、私から別れを切り出す事はないけれど
KEIが別れたいと言った時は、何があってもKEIが浮気しても
ごねたり、すがりつくのはやめて、ちゃんと送り出してあげようと。

すったもんだの末(私の心の中だけですが(笑))に
夫婦の危機を脱し、二人は病気によって深い信頼関係が
生まれたように思います。

このままKEIが通い夫でいるのも大変だし、
いつまでも別居は不安定なので、どこかに引っ越そうとなり
マンション探しに出かけ、借りるつもりが分譲マンションをほとんど衝動買いで
買ってしまいました。

ようやく新婚生活だな〜と思ったのも、束の間で、病気はみるみる進行していました(^^:)

起き上がって、何かしようと思うけれどフラフラして起き上がれず、
寝ていても誰かに首を、絞められているような息苦しさを、感じていました。
あの頃は、毎晩、明日は目覚めないんじゃないかな〜という不安感と
明日は、少しは良くなって治るんじゃないかという願望が交差しながら眠りにつくのでした。

いよいよ、一向に体調が良くなる気配を感じられず
寝たきりでなぁ〜んにも出来ないので、
次の外来を待たずに、病院へ行ったら40歳過ぎぐらいで透析になると聞いていたのに
退院からわずか半年で、透析導入となってしまいました。

一度、透析になったら一生離脱出来ないと聞いていて、
体力が少しあるうちは、抵抗したんだと思いますが、
この時期は尿毒症で生きている実感もなく、抵抗する気力すらなかったので、
その日のうちに、みなとみらいの病院から川崎の病院へ移動して
緊急で、脚の付け根の動脈より
いよいよ、血液透析の始まり、始まり〜・・・・

さぁ、どんな施術が私を待っているのでしょうか?

つづく・・・
 

連載第9回 「透析ってなぁに?私は、どうなるの?」

  • 2014.08.06 Wednesday
  • 13:02
昨日は、新しくなった○里病院に、
恐ろしく厳重な金属チェックをうけた後、MRIをとりにいきました。
脳動脈瘤があるために、血圧は低くしておきたいんですが、
ここのところ、血圧が低くて透析の次の日に起き上がれなくなっているので、
ドライを上げようかと悩んでいます(^^;)

さて、不良中学生からのぉ〜自殺未遂からのぉ〜
高校中退からのぉ〜理容師、OL、セールスレディという山あり谷ありクロードチアリの青年期を経たオルカに
奇特な人が現れ結婚となったのが、前回までのお話でした(^^)

余談ですが、前回、大手生保会社を辞める決意をしたのは、
身体の調子が悪かったからと言いましたが、もう一つ潜在的に持っている理由として、
彼氏が出来ると、女性は社会承認欲求が下がるということがあります。
特に、オルカは、「女が出しゃばるんじゃねーよ!」という養育環境で
育ったために、男の上にたってはならない!という意識が内在していて
結婚するとなった途端に、成功モチベーションは急激にダウンして、
「貴方がいないと何も出来ない」依存体質にシフトしてしまいました(笑)

Kさんと結婚して、ご両親と一緒に住んで、気詰まりもありましたが、
とにかくKEIさんが、愛情いっぱいでオルカ中心だったので満たされていました(^^)
ある日、KEIさんの両親と揉め事があって、
私は、独身のとき住んでいた実家のそばのマンションに帰ることになりました。
帰ることになったと言うか「出て行け」と言われたんですが、この話は長くなるので
またの機会にお話します。
そんなときに、あの事件は起きました!!

調子が悪かったと言っても、「だるい、重い」っていう程度で特に病院にいくほどでもないと思っていました。
最近、どうも目が見えにくいなぁ〜と眼科に行ったら、
「これは、目の病気ではありません。内科に回すので、予約を取ってください」と言われ次週に予約をして帰りました。

ピンポン!ピンポン!ドンドンドン!!!
なかなか出てこないオルカに、何かただ事ではない様子を感じたKEIは、オルカの実家の母に鍵をあけてもらいに行きました。
ドアを開けて、KEIと母は、ぎょっとしました!!
オルカが倒れていたからです。
救急車を呼んで、オルカが気づいた時は、病院のベットでした。

血圧が200を超えていたらしく、何回も舌下剤を打たれたのが記憶に残っています。
たぶん、救急車で担ぎ込まれた後、母とkEIさんには、病気の説明があったんだろうけど
みんな気が動転していたのか、的を得た回答を得られず、
どうやら腎臓が悪いらしいというのがわかったのは、だいぶ後になってからでした。

ちなみに緊急で入院したみなとみらいの病院では、大部屋(4人)が空いておらず、
特別室という一泊なんと5万円のシャワーと応接室のある部屋に泊まらされ、
それを知った私は、病気の心配どころじゃなくなり、慌てて大部屋に異動願いを出しました(^^;)
1週間いたのだけど、結局シャワーも応接室も使わず、
毎晩付き添ってくれていたKEIに仮設ベットもかしてもらえず、
いまだに、KEIに申し訳ないことしたなぁ〜と病院の体制にいらだちを感じます。

それはともかく、私は、どうも治らない病気になったらしいのです(:;)
その時点では、信じられず、いつか必ず治るものと思っていました。

腎臓が悪くて、膠原病かもしれないから、腎生検の手術版をしてみましょうと言われ、
腎臓の組織の一部をとる手術とステロイド治療が始まりました。
今、考えるとその病院には、腎臓の専門医はおらず、
結局は、膠原病じゃなかったから、ステロイドの大量投与は避けるべきだったし、
腎生検は、手術なんかしなくて、針をさす検査だけでよかったんじゃないかと思うけれど
後の祭りなので仕方ないです(トホホ)

だから、オルカが声を大にして言いたいのは
「みなさん、病気になったときは、ちゃんとリサーチして専門医を探しましょう!!」
ということです。

オルカが一番ショックだったのは、腎臓の病気が発覚したことではなく
「妊娠は諦めて下さい」と言われたことでしたΣ(゚д゚lll)

この時、新婚でした・・・
目の前が真っ暗になりました・・・
ふらふらとKEIに抱き抱えられるように、自分のベットに戻り
KEIと両親が帰った後に、声を殺して泣きました(TT)
治らないかもしれない病気で、いづれは透析になる、そして、妊娠が出来ない・・・
私は、どうなっちゃうの?
私に生きてる意味なんてあるの?
そんな思いが浮かんだけれど、マーフィーのゴールデンルール「思考は実現化する」を
思い出して、ネガティブな思いを払拭しようとしました。

でも、こんな身体と心が不安定な状態でも、なんとか先の希望が見えたのは、
KEIが毎日仕事の帰りにお見舞いに来てくれたことが、とても大きかったと思います。
こんな身体になった私でも、捨てずに大きな愛で包んでくれたお陰で
なんとか自尊感情を取り戻すことが出来たのだと思います。

みなさん、ご存知のように、いづれKEIとは、夫婦ではなくなるわけですが、
この時うけた恩を、オルカは生涯忘れないでしょう。

ステロイド大量投与治療だったために、入院は半年に及びましたが
無事、退院することになりました。
しかし、治ったわけではないって事で、今ひとつ気持ちが晴れないまま
実家のそばのマンションに帰りました。

相変わらず、KEIは私中心でいてくれたし、不信なことは何もないのですが
病気になって、すっかり自信を失い、
「私のことなんか、いづれ捨てたくなるに決まってる」
「本当は、別れたいと思っているかも」などなど、ひがみ根性が頭の中を支配してきました。

ある日私は、なんだかわけのわからない理屈をつけて
KEIに別れを切り出しました。

つづく・・・






 

連載第8回 怒涛の営業職時代3 結婚・・・え?私が病気?

  • 2014.07.31 Thursday
  • 14:10
「努力は必ず報われます」
高校を中退して、通信教育で理容専門学校のスクーリング(授業)の1コマの中で
講師が言ったひとことです。
この講師の顔も名前も覚えていませんが
このフレーズだけが、負けそうなときにいつもオルカの脳裏によぎります。

生命保険会社にいるときは、毎月、月末になると
「あ、今月1件も契約が取れない!!どうしよう!!」という夢を見て
朝目覚めていました(^^;)
みなさん、信じられますか?
どこの支部にも、毎月契約が1件も取れないって人は、一人もいないんですよ。
みんな、必死で1件は挙げてくる恐ろしい世界なのです。
私も、もう今月は無理かな〜と思って、くじけそうになるときは、
「努力は、必ず報われる」って、言葉を思い出してモチベーションを上げながら
営業活動をして参りました。

私は、「目指せ、年収1億」というビッグマウスを掲げていたわけですので
営業職で、トップを目指していたんですが、
会社側は、どうも指導トレーナーの道のほうを薦めてきて、
チームリーダーやらされたり、全国から営業職が集まってくる研修に行かされたりと
私が望む道とは違うレールに乗らされている感じが、プンプンしてきました(ーー:)
それは、期待されて嬉しいことなのかもしれませんが、私的には何か違うと感じていました。

調度、そんな頃に「好きです。つきあって下さい」攻撃を受けました。
勢いで、「うん」と言っちゃったんだけど、8歳下だし結婚なんて
まだまだ考えないだろうし、本気じゃないかもしれないなぁ〜と心のどこかで
別れる準備を常にしていました。

恋する女は、ちょっとでも連絡がないとどうしたんだろう?とか
別の女と一緒じゃないのか?とか何かと不安になるもので
嫉妬深いオルカは、その感情の置き場所に困りはてるので恋愛するのを避けていましたが、
このOさんには、何も不安になったり寂しい思いをさせられることが
一切ありませんでした(^^)
私しか見ていないし、常に私を中心に行動してくれて、すっごく大きな愛を感じました♪

精神的には、Oさんのお陰で安定していましたが
どうも身体が重くて、いつも疲れていました。
仕事はいままで地道に頑張ってきたので、半分の動きでもなんとか成果を出すことが出来ていましたが、
こんなに疲れやすいのは、たるんでいる証拠なんだろうと思っていました(:;)

ある時、今月は1件足りないなぁ〜と自分で保険に入ろうと思って
健康診断で、尿をとったら、「尿たんぱく +2?3?」(記憶があいまい)になって、
保険に入れなくなりました(アセアセ)
詳しい検査をしてくださいと言われましたが、疲れているんだろうとそのままにしていました。

Oさんとつきあって数ヶ月、あるとき、私を送ってから家に帰る途中で
彼が事故(ガードレールにぶつけて自爆)を起こしてしまいました。
「車は廃車だけど、命に別状はないしたいした怪我じゃないから大丈夫」と言われたけれど
心配で、彼の家に行ったら、彼はなんだか感激してくれました。
それから二人の心理的距離が、グーンと縮まり、その後、まもなくプロポーズされました(//∇//)

この頃、大変だったけど仕事が面白くもなってきた時期なのに、
彼の家から仕事に通うのはキツイなぁ〜と辞める決断をしたのは、
やっぱり病魔に侵されていたからなのだと思います(^^;)

結婚準備と称して、まだ籍も入れてないのに早々と寿退社を致しまして
彼と彼の両親のいる家に、婚前同居をしました(^^)

次回があれば、「透析って、なぁに?私は、どうなるの?」


クリニックにいるロマンスグレーのおじさまから、なぜか田舎から送ってきた桃を頂きました♪
「お世話になっています」と言うけど、まったくお世話してなぁ〜い(笑)
「ぜんじんきょう」と「じんゆう」を配っているだけなんですけどぉ〜(アセアセ)






 

南川ツアーin島根 からのぉ〜連載第7回 怒涛の営業職時代2

  • 2014.07.22 Tuesday
  • 21:49
先週の土曜日、日曜日に南川ツアーズin島根に参加して
神々の国でパワースポット巡りや大好きなきれ〜いな海でデトックスして
思いっきり楽しんで参りました(^0^)
良縁を祈願して参りましたので、
仕事からプライベートまで、きっとよい縁に恵まれる事でしょう♪
楽しい時間は、あっという間に過ぎ去り、正念場を迎えた今年も後半となり
しっかり腹をすえて、頑張っていきたいと思います♪

さてさて、前回の連載から2週間近く経ちまして
忘れ去られていますでしょうか?
今回は、怒涛の営業職時代2 元夫との出会い編

前回お話しましたが、オルカは売れないセールスマンではありませんでしたが、
そんなに簡単な仕事でもなくて、
その支部で持っているエリアの一部を片っ端から、訪問したり、
担当の職域をお昼休みに訪問していく地道な活動を続けていくうちに、
徐々にオルカの顔を覚えてもらって少しづつ営業を展開していったのでした。
オルカは少なくとも最初の3年ぐらいは、知り合いからの契約はありませんでした。
最初に楽をしたら、後々続かなくなると思ったからです。

担当の職域と言っても、別にみなさん、暖かく迎え入れてくれるわけではありませんが、
お昼休みや夕方に大勢の方に会えるので、一軒一軒のお宅を訪問するよりは効率がよいので
職域中心に動いていました。
オルカは、この人は、どの生命保険に入っているかとか家族構成とか書いたマップを
作っていましたが、ある職場では、もう入れる人がいないくらい
私のお客さまだらけになっていました(^^;)
だから、新入社員が入ってきたときは、追い掛け回して
なんとか、アポイントをとっていたのです。

ある年、私の職域に新入社員が4人入ってきて、
合コンをセッティングしたり、会社主催のボーリング大会に連れていったり
あの手この手で、4人全員加入して頂き、支社から表彰を受けました。
この時の新入社員のうちの1人が、元夫なのです。
新入社員の中で、一番落としにくそうであり、ちょっと生意気だったから
このO君を落とせば、全員いけると踏んで、初めに声をかけました。
新入社員というのは、会社に入ると生命保険に入るものと認識を持つと加入するもので、
最初のアプローチで、一気にクロージングまで持って行って
スムーズに契約となりました(^^)

そのO君が契約から1ヶ月ぐらい経って、なぜかゴールデンウィークの予定を聞かれ
8歳年下の男の子だったので、まさかデートとは思わず空いている日に会うことになりました。
私的には、保険のおばちゃんとでも遊びたいくらい暇なのかな〜ぐらいに思っていましたが、
ある日、「お話がある」と言われ・・・
ま、まさか保険の解約?と死ぬほどドキドキしながら、電話に出たら

「好きです。つきあって下さい」と言われ、腰を抜かしそうになりましたΣ(゚д゚lll)
たぶん、このフレーズじゃなければ、つきあっていなかったのかもしれません。
青春か?このフレーズは!
こんなよけいな言葉が何もないストレートな言葉が、私のハートに突き刺さりました(^0^)

オルカ 「あ、うん」これまた、よけいな言葉が何もない返答をしました。
つづく

次回は、結婚・・・え?私が病気?です。


シェーのポーズじゃないよぉ〜


 

連載第6回 怒涛の営業職時代 1

  • 2014.07.10 Thursday
  • 19:15

外は、風がピューピュー吹いていますが、洗濯物を干して出かけ、なんとか被害(洗濯物)に遇わず無事取り込めました(^^;)
皆さんの地域に被害が及ばないことを祈ります。
さて、終活の一環のための連載も第6回になりました。
まだもうちょっとありますので、根性のある方は、おつきあい頂けると幸いです♪

怒涛の営業職時代1 「営業って、結構簡単だったねって言ってやる」編

めっちゃ楽しいOL生活にピリオドをうって、友人から拉致られた形で(笑)保険会社に入社しました。
前回の「年収1億ぐらい欲しい」のビッグマウス発言により、支部長(同業他社では所長)から
なぜか高い評価を受け、初めから他の新人より少し高い給料をもらうクラスに入れられたオルカでありましたが、
本人的には、なんのプレッシャーも感じることなく、入社試験合格後の支社長、副支社長面接をうけた時の事です。

副支社長より「生命保険のセールスは簡単ではないですよ。・・・かくかくしかじか・・・」とそんなに、ボコボコ契約が上がるようなものではないと聞いていて、初めは、「はい、はい、そうですね」と思っていたんですが、
そのうちにオルカは、「そんなものは、やってみなければわからないじゃないの。よ〜し、いつか、この副支社長に保険とるのって、意外と簡単ですねって言ってやる」という気持ちになっていました。
もし、この副支社長がオルカの性格を見透して、このような事を言ったのだとしたら、そうとうなキレ者だと思います。
結果的には、この言葉をいう機会には恵まれませんでしたが、オルカは決して売れないセールスマンではありませんでした。

不動産やにいる頃に、「マーフィーのゴールデンルール」
(ジョセフ・マーフィー著) に出逢いました。

ネガティブ思考からポシティブ思考にシフトしたのは、この本の影響で、生保営業の頃は、ものごとを肯定的に受け取る習慣づけていて、「出来ない自分、私には無理」から「出来る自分」にセルフイメージを変えていきました。

 

そして、保険の知識やお金の知識だけでなくこの頃から心理学を取り入れていました。

ただ今のように、「人のために役立てるため」「心理的援助のため」ではなく、あくまでも、「自分の営業成績をあげるため」「上手に人の心を動かすため」に心理学を利用していたのでした。

 

例えば、あまり他社の営業マンが声をかけないような強面の人だったり、営業マンに冷たくあたったり文句を言うような人に、わざわざ接近して、2、3回怒られたり嫌味を言わせます。その時に落ち込んでいたり、もしかしたら泣いているんじゃないかという姿を見せます。

そうすると、その強面の方の心の中に印象に残り、少しは悪いなって気持ちが残っていますので、その気持ちが残っているうちに、アボイントを取って、私主導で、話を進めていくのです。

 だから、嫌味を言われたり、馬鹿にするような事言われた時は、落ち込んでいるようなフリをしていても、心の中では、契約一件決まったなとガッツポーズをしていたのでした()

 

しかし、こんな小手先の技術だけで、契約を取り続けていけるほど、生保業界は、甘いものではありません。

 

しっかりとした保険知識とそれぞれの人にとって、どんな必要性があるのかという説得材料や何より信頼される人でなければなりません。

 信用は、どの仕事でも大切な事ですが、「あなただから任せた」と言われる事は、営業マンにとっての最高の喜びだと思います。

 だから、私はどんな小さな約束事も守りたいし、出来ない約束はしませんでした。

また、わからない事、不明点は、安易に予想で答えず、調べてからお答えしますと、どんなにその日に一件欲しくても、いい加減な答えを出しませんでした。

 当たり前のようですが、常に閉め切りに追われている生保セールスレディにとって、案外難しい事なのです。

営業職は、いつも締切に追われる厳しい仕事ではありましたが、やりがいある仕事でもありました。もう一度やれと言われたら出来ませんが、オルカを大きく成長させてくれた仕事でもありました。

次回は、営業職時代のエピソードと元夫との出会いになります。



お隣りの二人がめっちゃ可愛いのに顔出せなくて残念です(^^;)
 

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