まさかこんなに生きるとはね

  • 2023.04.26 Wednesday
  • 20:31


お誕生日メッセージ、コメント、電話(*^◯^*)

暖かなお言葉を頂き

どうもありがとうございましたm(_ _)m


本当に嬉しく感激しましたm(__)m


今日は、お友達が素敵女子たちのプレゼントを持ってきてくれました(⌒▽⌒)


赤い花たちが美しく大人な花束嬉しいです(*^◯^*)


嬉しい言葉がいっぱいのメッセージカードも感激です。


どうもありがとう(((o(*゚▽゚*)o)))


透析導入した時は、まさか還暦まで生きるとは思いもしませんでした。

なんだかこの調子だともう少し生きてしまいますね。


私に関わる全ての人に感謝!感謝!感謝!


これからも何卒よろしくお願いします。


ポチっとするとオルカが喜びます

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床屋の看板娘 番外編

  • 2022.03.10 Thursday
  • 17:23

8年ぐらい前2014年に、自分史を書いたんだけど…

ふと懺悔の気持ちが残ってて、書き表したくなりました。


床屋の看板娘は↓

http://orukas.jugem.jp/?eid=303 


伊勢佐木町の893とホストとキャバレーのボーイとか来ていた床屋を辞めて、金沢八景の床屋に移ったオルカは…


いつものように、お客様の髪の毛をカットしていたある日の事です。

たしか、かなり長めの髪のお客様で短めとの要望だったので、先に大雑把に切って、その後丁寧に揃えるつもりでした。


いつも手からはみ出る髪の毛を切るので、自分の手を切る事は日常茶飯事でした。


その日に限って、直接耳そばの髪をカットした時に、なぜかバツっと手に違和感を感じ…


あ!どどどどうしよう!

耳をちょっと挟んでしまったようでした。

パニッくった私は、慌てて責任者的な先輩に報告、

「耳を切ってしまいました( ;  ; )」

その後がどうなったかは、よく覚えてなくて、先輩が謝ったのと血止めをして、なんとかお客様が帰られたのだけは覚えているのですが…


私がちゃんと謝った記憶がないんですよね。

耳を切るなんて、これもう謝るだけじゃ済まないような事なんだけど、全く怒られた記憶がないので、思い出しても申し訳ない気持ちでいっぱいです。


あの時のお客様、本当に申し訳ありませんでしたm(__)m


今書いててもドキドキしてきました。


伊勢佐木町の床屋の事件簿もあるのですが、それはまたの機会にお話しますね。

友達の投稿みて、ヤムニョムチキンにするつもりだったけど、ヨーグルト使い切りたかったからタンドリーチキンとエビとマッシュルームのアヒージョ!

いつもポチッとありがとう

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40年ぶりのクラス会(^^)

  • 2018.11.18 Sunday
  • 14:13

ただ今恒例の透析中のブログ更新です。


昨日は、40年ぶりの中学時代のクラス会で、オルカ大興奮でした。

クラスメートが、必死でみんなに手紙を出したり連絡をとってくれて、恩師と十数名の生徒が参加しました。

まずは、横浜高島屋で小学校から同級生と待ち合わせて、そこから少し歩いて天理ビルの会場に向かうと見たことあるようなないようなメンバーがいました。


が、何しろ40年経っているので、記憶が曖昧なのです。


席に座るとお隣り男性が同級生だと思ってたら、先生でその若さにビックリでした。


自己紹介や思い出話に花を咲かせているうちに、だんだん昔の面影が蘇り、すっかり中学時代に、ワープしました。


あの頃は、やんちゃでいっぱい迷惑かけたのに、先生やクラスメートが暖かくみていてくれた事に、熱い思い

で胸がいっぱいになりました。


まだ動けるうちに、みんなに会えて本当によかったです(^^)


みんな、ありがとう💖

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いつも、ポチッとありがとうございます(^^)

ついに、連載最終回 「一人でやっていけるかなぁ〜?」

  • 2014.10.07 Tuesday
  • 17:42

みなさん、もう連載の事忘れちゃってますよね?

ですよね〜(^^;)

でも、連載って掲げたので、きちんと最終回で締めくくりたいと思います。


41歳から大学へ行き、腎臓移植そして移植腎の摘出、

そして、両親の死と学業もプライベートもてんこ盛りの密度が濃い大学生活が終わり

バーンアウトなのか、心にぽっかり穴のあいたような寂しい気持ちに浸っていました。


しかし、「あ(;´∀`)、グズグズしていられない。早く次の手を考えなくちゃ」と

産業カウンセラー養成講座に通うことに決めました。

産業カウンセラー試験には、実技と学科があるのですが、

養成講座に通えば、実技試験が免除になるものと思っていました。

(大学の同級生が、先に1年前に卒業していて、養成講座に行った人は、みんな免除になっていたので)


ところが私は、免除にならず、初回の産業カウンセラー試験にも

なんと学科と実技の両方とも落ちたのでした(TT)

今思うと、「ここで落としてくれて神様ありがとう」だったのです。

なぜかというと、悔しくって、悔しくって、猛勉強できたからです。

分厚いテキストのほぼすべてをリコーダーに録音して、透析中や運転中や家事など

聞いていられる時間のすべてを、録音した自分の声を聞いて過ごしました。


実技のほうは、ありがたいことに養成講座のメンバーが自分たちの試験がおわっているにも関わらず

ロールプレイにつきあってくれたり、大学の勉強仲間や多くの友人たちにつきあってもらったり、

ブログを見ていてくれる皆さんの応援もあって

今度は、なんとしても合格しなければならないという思いで再チャレンジしました。


これでダメなら、カウンセラーにはなるべきではないのかも知れないと思っていましたので、

合格通知を見たときは、

「私は、カウンセラーになってもいいのだ」と何か目には見えないどこかからの許しを得たように感じました。

ただこの時はまだ、遠い夢のような話で、具体的な計画も何もありませんでした。


プライベートでは、移植したあたりから夫婦関係のほうがギクシャクしていました。

ある日、情緒不安定だった私が、ずっと帰ってこない元夫に対して

こちらを振り向いてもらいたくて、通帳と印鑑を家に置いて家出をしたのをきっかけに

夫婦関係が氷つきだしました。

兄にも離婚を反対されていたし、私自身も一人では精神的にも経済的にも生活出来ないだろうという不安と

一方で、このままの結婚生活を続ける虚しさとの葛藤でずっと悩んでいました。

そして、安定した生活を捨てて、どうなるかわからない未来のほうを選んだのでした。

http://orukas.jugem.jp/?eid=183


「さぁ、これから、どうやって生活していけばいいのだろう!!」


とりあえず、どこかに就職するためにも役立つものと思い

離婚した翌年の1月から職業訓練校(パソコン)に行き、同時期に産業カウンセラー試験を受けて

その年の3月に合格通知がきました(^0^)

http://orukas.jugem.jp/?eid=205


心理職の就職先を、ハローワークで探しました。

障害者枠でも探してみましたが、まったく見つからず

これまた、どうなるかわからないけれど、やってみなければわからないという事で

石橋がなくても渡ってしまう無謀な私は、

メンタルカウンセリングのOruka's roomを開設してしまいました。


考えたら私には、計画性なんてありませんでした。

だけど、ずっと心の中に描いていた漠然とした夢に向かって

少しづつ進んでいるだけでしたし、これからも夢に向かっていくのでしょう。

まだまだ、夢の途中で何も成し遂げてはいませんので、

どうぞこれからも、未熟な私を応援して頂けると嬉しいです♪


みなさん、長期にわたりオルカの自叙伝におつきあい頂き

本当にありがとうございましたm(__)m

みなさんのお陰で、モチベーションを保ちつつ最終回を迎えることができました。


記事と何の関係もない兄ん家からのワンショット♪

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連載第13回 「41歳の主婦大学生」

  • 2014.09.25 Thursday
  • 13:34

高校の卒業式は、ひとりでとぼとぼ会場に向かったわけですが、

誰にも「おめでとう」と言ってもらえないのも寂しいので、

晴れて高校卒業したことを母親に報告して「よかったね♪」と一言がもらいたかったのですが、

予想外の反応でちょっぴりがっかりしました。


あれだけ長い間、高校中退の事を嫌がっていたのに「私、やっと高校卒業したよ」と伝えたら

「ふ〜ん、それで・・・(以後自分の話)」と、さっと流されてしまいました(:;)

無理もありません。もうボケかけているのですから(笑)

この時私は、この歳になってもまだ母親の承認を得たかったのだと気づきました。


なにはともあれ、これで、いよいよ念願の心理学を学ぶ準備ができました(^0^)

透析をしながら行ける学校を探すために、この頃からインターネットというものを活用するようになりました。

ネットの世界を知らないときは、危険で怪しいものと思っていましたが、

家にいて世界中の情報が見れるのは便利なもので、

通信教育で心理学を学べる大学を数校見つけることが出来ました。


その数校の中でも、スクーリングに通える範囲で透析時間を確保できるもので、

なおかつカリキュラムの内容が充実しているものとなると、

「ここしかない!!」と直感で決めた後はもう何の迷いもなく入学準備に取り掛かりました。


志望動機には、カウンセラーになりたいことと心理学を学びたいという二つの思いを書きました。


初めて家に教材が届いた時の喜びは今も忘れません。

高校を中退してすぐ働きだして、同級生だった友達が大学生になった時・・・

みんながキラキラが輝いて見えて楽しそうで、すごく羨ましかった事を思い出しました。

あの時は強がって自分の気持ちに蓋をしていたけれど、

あの羨ましかった大学生に自分がなれるんだって思ったら、

まだ何の勉強もしていないのに、なんだか誇らしい気持ちになりました(笑)


パソコンでミニテストや単位認定試験を受けたりレポート提出したりするので、

パソコンが出来ないとお話にならないので、パソコン教室にも行き、

mixiの同じ大学のコミュに入って、どんな参考文献がいいのか?などの情報を得たりしながら、

日々、学びたかった心理学の勉強をしていました。


レポートを書くのも初めてだったので、本を読んだり同級生に聞いたりしながらなんとかこなせたんですが

スクーリングは、午前と午後のコースに出ると透析に行く時間に間に合いません。

なかでも、認定心理士の資格取得に必須の「心理学実験実習中級」が、

4日間連続の午前午後のコースなので、どうやって調整しようかと悩んでいたところに

連載番外編「オルカの移植体験記」orukas.jugem.jp/?eid=315 でお伝えしたように移植の話がありました。


大学へ行きだした頃に父が他界していたこともあって、

天から見守ってもらっていると大船に乗ったつもりでしたが、残念なことになって、

結局、リベンジで次の年に、大学のそばで透析クリニックに近いホテルに泊まりこんで、

大学の事務局や心理学実験実習のメンバーに事情を話して、授業を早退させてもらいながら

なんとか実験実習の単位を修得することができました(^0^)


大学の実習メンバーのみなさん、その節はどうもお世話になりました♪(確実にだれもココをみてませんが)


別の講義で大学のスクーリング中に、兄から連絡があって母の緊急入院を知らされて

慌てて帰りに病院に行ったら、ICUに入っている母の姿を見て愕然としました。

私は親不孝ばかりしてきたなぁ〜と悔やみました。

そして、母はその年の12月に、兄と姪っ子の誕生日をさけた日に逝ってしまいました。


そんな山あり谷ありクロードチアリ(再び登場)の大学生活も無事卒業迎えることが出来ました(^^)

卒業式には、現役卒業生のように袴まで着てしまいました(^^;)



思えば、知識や希望は、だれも私から奪うことが出来ません。

父を失ったとき、母が亡くなった時、大学で学んだことも役立ちました。

そして、多くの方々に支えられて生きていることを改めて知って

私は、カウンセラーになる夢をより強固にしたのでした。

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連載第12回 「39歳の主婦高校生」

  • 2014.09.10 Wednesday
  • 18:38

めぐみの雨といいますが、どこかに集中しなくてもいいんだけどなぁ〜

雨が降って欲しいところに、異動したり出来ればいいのになぁ〜


こちらは、降ったりやんだりを繰り返しています。


さて、とある予定がなくなって、久しぶりに連載を再開いたします。


連載第12回「39歳主婦の高校生」


透析に、なってもいつか離脱出来るはずと思っていましたが、いい加減1年も続ければ、

これは離脱は、出来ないんだろうなと気づき始めます。


マーフィーのゴールデンルールに心酔している私は、

ネガティブワールドにハマる度に

「よい事を思えば良いことが起き、悪いこと思えは悪いことが起きる」を

思い出して、ネガティブな思いを打ち消していました。


「透析ってなぁに、私はどうなるの?」の回で、妊娠は諦めて下さいと言われたときは

ショックでしたが、その前に緊急で運ばれて病気が発覚したとき、

実は、「これで私は、頑張らなくても許されるんだ」って、心のどこかで

楽になった気持ちもありました。

それは、物事のよい点に焦点を当てるゴールデンルールが身についていたからばかりじゃなくて

実際に何が追い詰められていたものから解放された感覚がありました。


透析生活も慣れてくると、自己管理もできるようになって

体調も落ち着いてきて、同じクリニックの方から「腎友会」なるものを教えてもらい

気持ちを共有できる仲間が出来たり、気持ちも安定してきました。


透析の時間は、確かに片腕が自由にはなりませんし、ベット上で過ごさなければなりませんが、

「私が私のために、誰にも邪魔されず堂々と使える唯一の時間」とも言えるので、

本を読むようになりました。


そんな透析中に読んだある本「シーラという子」が、

その後の私の人生に、大きく影響を与えました。


透析になって、社会のお荷物になっているセルフイメージが心のどこかにあって、

私も誰かの役に立ちたい。何か出来ることがないかを求めていた私の心に

ストーンとハマった一冊でした。


「身体はボロボロかもしれないけど、精神は健康(?)だし、メンタルケアは出来るんじゃないの?」

誰かのメンタルケアがどれだけ大変な仕事なのかは、その時は思いもせず、

やりたい事が見つかった私は、心理カウンセラーを目指すようになりました。

そして、その後に読んだ「24人のビリーミリガン」「失われた私」「ジョニーの中の400人」などを

読み進めるうちに、心理学に強い興味を持つようになりました。


「心理カウンセラーになりたい」「心理学を学びたい」というこの思いは、どんどん揺るぎないものとなりました。


さぁ!!心理学を学ぶために大学へ行こう!!と思ったら

「あ(;´д`)!私は、高校中退したんだった」と思い出して、

慌てて、透析しながら行ける高校を探しました(笑)


実家の近くの県立横浜平沼高等学校には、通信制があって、授業のカリキュラムを調べると

なんとか通えそう(スクーリング)な時間スケジュールだったので、出願申込をしました(^^)


通信ですが、ちゃんと面接もありました(^^;)

オルカこの時、39歳主婦、ドキドキの面接風景です♪


県立平沼高校の1クラスに、30名ぐらいの10代〜40代ぐらいの男女が順番を待っていました。

先に面接を受けた人が、次に入る人を促すシステムだったように記憶しています。

前の人が促すときに、顎で指図したのが感じ悪かったので、

私は、「○○番の方、どうぞ」とエレベーターガールのように促したのを覚えています・


別の場所にある面接室には、同年代の男性面接官と60代ぐらいの男性面接官が二人いました。


ニコニコしながら面接室に入るオルカに面接官は、一般的な志望動機を聞き、最後に

面接官 「どうして、前の学校をやめたのですか?」と聞きました。

オルカ 「・・・20年以上前なので・・・ちょっと記憶の整理が・・・」

と言い終わらないうちに、

面接官 「あ、ま、いっかもう、昔の話ですからね・・・あはは」

オルカ 「あはは・・・そうですね〜」

という感じで、なごやかに面接が終わり、無事に高校生活が始まりました。


高校生活は、久しぶりの座学や体育の授業で、10代とか20代の子達とふれあうことが出来て楽しかったです。

目標があって行ったので、オルカはとても真面目に高校生活を送り、

札付き中学生だったオルカからは、考えられないような優秀な成績で卒業しました。

卒業式は、仲良くなった小学校の男の子を女手ひとつで育てている友人が、「卒業生の言葉」を述べ、

式が終わった後に有志で、先生を囲んだお食事会をしたり、

通学生とは違い派手なイベントではないですが、味わい深いものでした。


さぁ、これで、ようやく心理学を学べる準備が整いました。

次は、どんな世界がオルカをまっているのでしょうか?


すいませんm(__)m  まだ、つづく・・・

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妄想未来日記♪

  • 2014.09.02 Tuesday
  • 11:32
みなさ〜ん こちらは、夏がまた戻ってきました(^0^)

先日、演者が入院中のために、急遽ますかっと役員から頼まれた移植体験談のために
「もう忘れちゃったなぁ〜」と過去ブログを見直してみたら
過去に私が書いた妄想が、現実になってて驚きました(@@)

「ただの自己満足日記」http://orukas.jugem.jp/?eid=69

夢を描くのは自由なので、現実とはかけ離れていても
明るい未来展望を描いててよかったなぁ〜(^^)と
過去の自分に救われました♪

さて、神奈川県腎友会 青年部ますかっと主催
2014 だれでも参加できる勉強会 「移植について」
9月7日(日)かながわ県民センター 305号室 13時30分〜
東京女子医科大学病院 移植コーディネーター 岡部 祥 さんの後、
ちょっことだけ、体験談を致します♪
※ 詳細は、神奈川県腎友会HPをご覧下さい。

だれでも参加できますので、気が向いたら覗いてみてくださいね〜(^0^)

 

連載第11回 透析ってなぁに?私は、どうなるの?3

  • 2014.08.19 Tuesday
  • 12:37

生きているのか?

死んでいるのか?

このまま、私は、この暗闇から抜け出さずに、死んだように生きるのか?という状態から

緊急で運び込まれた川崎の井○病院にて、担当して頂いた先生が、

あまりに気軽に透析のことを説明されたので、

単純な私は、点滴程度の感覚で透析室に向かいました。

あるいは、絶不調なので、「もうどうでもいいや!」

という感情が麻痺した状態であったかもしれません。


初めて入った透析室には、ずら〜っとベットが並べられており

患者さん方は、寝ていらっしゃるようで、とても静かでした。


私の導入期の17年前は、すでに命懸けの透析ではなかったんですが、

それでも血圧が下がったり、ずいぶん辛そうにしている方もいらっしゃいましたが、

私は、比較的にスムーズに、初透析が終わり

透析室から自分のベット(病院の中)に帰って

机の上に置いてあったお食事を見て、飛び上がりました(^0^)

「きゃー!!天ぷらだー(^0^)」←私の心の中

ずーっと、ずーと、食欲がなくて、何も食べられなかったのに、

お腹がすいた感覚が戻って、ぺろっと完食してしまいました(^^)

だからと言って、早く透析やればよかったとも思わないけれど、

もしかしたら、元気になって治るのかもなどと思っていました。


不治の病ということは、理屈ではわかっているですが

希望や楽しい妄想を描くことは、私の趣味なので、

バカにする人もいるけれど、「あらぬ妄想」は止められません(笑)


そんなこんなで、透析が始まり、その病院から外出して、横浜の第○病院へ

「シャント手術(1時間半)」をして、夕方に戻るという入院中に

他の病院で手術という病人らしい病院ライフを送りながら

無事、1ヶ月半ぐらいで自宅に戻って参りました(^^)

※シャント手術・・・動脈と静脈をつなぐ手術で、静脈に多くの血液が流れるようにする。


いまや、まったくこのシャントの音が気になりませんが、

当時は、シャンシャン、うるさくて、うるさくて、

寝るときなど、腕をぶった切ろうかと考えたぐらいです(笑)


今思うと、あの時、貧血でヘロヘロになりながらも

なんとか病院へ行って、無事透析が出来てよかったなぁ〜と思います。


本当に、家族や友人、医療スタッフのみなさんに感謝です。


あの当時は、もっと薄くてオレンジ色の血液だったけど、

今は、真っ赤な血液が流れています(8月18日撮影)

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連載第10回 「透析って、なぁに?私は、どうなるの?2」

  • 2014.08.12 Tuesday
  • 16:13

「男の愛は、肉欲、女の愛は、執着よ」

昼顔という番組で、りかこ(役名)が言った言葉です。


女の愛は、執着・・・これは、よくわかります。

あ〜執着するのは、わたしだけじゃなかったんだと妙に納得したセリフでした。


前置きはこのへんにして、それでは、連載の始まり、始まり〜(^0^)


「貴方とずっと続けていく自信がないの」とオルカは、KEIに静かに言い放ちました。

でも、心の中では、支えを求めて、すがりつきたい気持ちだったんだと思います。

KEIの方から、別れたくないと言ってもらい安心感を得られればと

自分に都合の良い答えを待っていましたが、

KEIは、俯いてしばらく沈黙の後、大きな身体に合わない小さな声で、

「わかったよ」と言いました。


しばし重ぉ〜い空気が流れ、帰ろうとした(この時は別居婚でした)

KEIの後ろ姿が切なくて、胸が張り裂けそうになりました。


「今、この人を失ってはいけない!!」という私の内側からの

強いメッセージを感じて、後ろ姿にもたれて、

「ごめんなさい。ごめんなさい。本当は別れたくない」と言いました。


今思うと、ブンブンKEIさんの気持ちを振り回して申し訳なかったなぁと思いますが、

その時のオルカは、こんな子供の産めない女なんて・・・そのうえ、

これからどうなるのかもわからない病気の私と一緒にいてもらっていいのだろうか?

お荷物になりたくない気持ちと捨てられるんじゃないか?

という不安で惨めな気持ちが絡み合って、うつ状態だったんだと思います。


オルカは、この時、決意しました。

今後、私から別れを切り出す事はないけれど

KEIが別れたいと言った時は、何があってもKEIが浮気しても

ごねたり、すがりつくのはやめて、ちゃんと送り出してあげようと。


すったもんだの末(私の心の中だけですが(笑))に

夫婦の危機を脱し、二人は病気によって深い信頼関係が

生まれたように思います。


このままKEIが通い夫でいるのも大変だし、

いつまでも別居は不安定なので、どこかに引っ越そうとなり

マンション探しに出かけ、借りるつもりが分譲マンションをほとんど衝動買いで

買ってしまいました。


ようやく新婚生活だな〜と思ったのも、束の間で、病気はみるみる進行していました(^^:)


起き上がって、何かしようと思うけれどフラフラして起き上がれず、

寝ていても誰かに首を、絞められているような息苦しさを、感じていました。

あの頃は、毎晩、明日は目覚めないんじゃないかな〜という不安感と

明日は、少しは良くなって治るんじゃないかという願望が交差しながら眠りにつくのでした。


いよいよ、一向に体調が良くなる気配を感じられず

寝たきりでなぁ〜んにも出来ないので、

次の外来を待たずに、病院へ行ったら40歳過ぎぐらいで透析になると聞いていたのに

退院からわずか半年で、透析導入となってしまいました。


一度、透析になったら一生離脱出来ないと聞いていて、

体力が少しあるうちは、抵抗したんだと思いますが、

この時期は尿毒症で生きている実感もなく、抵抗する気力すらなかったので、

その日のうちに、みなとみらいの病院から川崎の病院へ移動して

緊急で、脚の付け根の動脈より

いよいよ、血液透析の始まり、始まり〜・・・・


さぁ、どんな施術が私を待っているのでしょうか?


つづく・・・

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連載第9回 「透析ってなぁに?私は、どうなるの?」

  • 2014.08.06 Wednesday
  • 13:02

昨日は、新しくなった○里病院に、

恐ろしく厳重な金属チェックをうけた後、MRIをとりにいきました。

脳動脈瘤があるために、血圧は低くしておきたいんですが、

ここのところ、血圧が低くて透析の次の日に起き上がれなくなっているので、

ドライを上げようかと悩んでいます(^^;)


さて、不良中学生からのぉ〜自殺未遂からのぉ〜

高校中退からのぉ〜理容師、OL、セールスレディという山あり谷ありクロードチアリの青年期を経たオルカに

奇特な人が現れ結婚となったのが、前回までのお話でした(^^)


余談ですが、前回、大手生保会社を辞める決意をしたのは、

身体の調子が悪かったからと言いましたが、もう一つ潜在的に持っている理由として、

彼氏が出来ると、女性は社会承認欲求が下がるということがあります。

特に、オルカは、「女が出しゃばるんじゃねーよ!」という養育環境で

育ったために、男の上にたってはならない!という意識が内在していて

結婚するとなった途端に、成功モチベーションは急激にダウンして、

「貴方がいないと何も出来ない」依存体質にシフトしてしまいました(笑)


Kさんと結婚して、ご両親と一緒に住んで、気詰まりもありましたが、

とにかくKEIさんが、愛情いっぱいでオルカ中心だったので満たされていました(^^)

ある日、KEIさんの両親と揉め事があって、

私は、独身のとき住んでいた実家のそばのマンションに帰ることになりました。

帰ることになったと言うか「出て行け」と言われたんですが、この話は長くなるので

またの機会にお話します。

そんなときに、あの事件は起きました!!


調子が悪かったと言っても、「だるい、重い」っていう程度で特に病院にいくほどでもないと思っていました。

最近、どうも目が見えにくいなぁ〜と眼科に行ったら、

「これは、目の病気ではありません。内科に回すので、予約を取ってください」と言われ次週に予約をして帰りました。


ピンポン!ピンポン!ドンドンドン!!!

なかなか出てこないオルカに、何かただ事ではない様子を感じたKEIは、オルカの実家の母に鍵をあけてもらいに行きました。

ドアを開けて、KEIと母は、ぎょっとしました!!

オルカが倒れていたからです。

救急車を呼んで、オルカが気づいた時は、病院のベットでした。


血圧が200を超えていたらしく、何回も舌下剤を打たれたのが記憶に残っています。

たぶん、救急車で担ぎ込まれた後、母とkEIさんには、病気の説明があったんだろうけど

みんな気が動転していたのか、的を得た回答を得られず、

どうやら腎臓が悪いらしいというのがわかったのは、だいぶ後になってからでした。


ちなみに緊急で入院したみなとみらいの病院では、大部屋(4人)が空いておらず、

特別室という一泊なんと5万円のシャワーと応接室のある部屋に泊まらされ、

それを知った私は、病気の心配どころじゃなくなり、慌てて大部屋に異動願いを出しました(^^;)

1週間いたのだけど、結局シャワーも応接室も使わず、

毎晩付き添ってくれていたKEIに仮設ベットもかしてもらえず、

いまだに、KEIに申し訳ないことしたなぁ〜と病院の体制にいらだちを感じます。


それはともかく、私は、どうも治らない病気になったらしいのです(:;)

その時点では、信じられず、いつか必ず治るものと思っていました。


腎臓が悪くて、膠原病かもしれないから、腎生検の手術版をしてみましょうと言われ、

腎臓の組織の一部をとる手術とステロイド治療が始まりました。

今、考えるとその病院には、腎臓の専門医はおらず、

結局は、膠原病じゃなかったから、ステロイドの大量投与は避けるべきだったし、

腎生検は、手術なんかしなくて、針をさす検査だけでよかったんじゃないかと思うけれど

後の祭りなので仕方ないです(トホホ)


だから、オルカが声を大にして言いたいのは

「みなさん、病気になったときは、ちゃんとリサーチして専門医を探しましょう!!」

ということです。


オルカが一番ショックだったのは、腎臓の病気が発覚したことではなく

「妊娠は諦めて下さい」と言われたことでしたΣ(゚д゚lll)


この時、新婚でした・・・

目の前が真っ暗になりました・・・

ふらふらとKEIに抱き抱えられるように、自分のベットに戻り

KEIと両親が帰った後に、声を殺して泣きました(TT)

治らないかもしれない病気で、いづれは透析になる、そして、妊娠が出来ない・・・

私は、どうなっちゃうの?

私に生きてる意味なんてあるの?

そんな思いが浮かんだけれど、マーフィーのゴールデンルール「思考は実現化する」を

思い出して、ネガティブな思いを払拭しようとしました。


でも、こんな身体と心が不安定な状態でも、なんとか先の希望が見えたのは、

KEIが毎日仕事の帰りにお見舞いに来てくれたことが、とても大きかったと思います。

こんな身体になった私でも、捨てずに大きな愛で包んでくれたお陰で

なんとか自尊感情を取り戻すことが出来たのだと思います。


みなさん、ご存知のように、いづれKEIとは、夫婦ではなくなるわけですが、

この時うけた恩を、オルカは生涯忘れないでしょう。


ステロイド大量投与治療だったために、入院は半年に及びましたが

無事、退院することになりました。

しかし、治ったわけではないって事で、今ひとつ気持ちが晴れないまま

実家のそばのマンションに帰りました。


相変わらず、KEIは私中心でいてくれたし、不信なことは何もないのですが

病気になって、すっかり自信を失い、

「私のことなんか、いづれ捨てたくなるに決まってる」

「本当は、別れたいと思っているかも」などなど、ひがみ根性が頭の中を支配してきました。


ある日私は、なんだかわけのわからない理屈をつけて

KEIに別れを切り出しました。


つづく・・・

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