相談とは違う

  • 2016.12.22 Thursday
  • 15:31
カウンセリングは、身の上相談とは違います。

自分の体験をもとに自分の価値判断を提示したりアドバイスをするのが、身の上相談です。

カウンセリングでは、自分の価値を脇において、クライエントのあるがままをうけとめます。

クライエントを評価したり、自分の価値観で善悪を決めつける事もありません。

時々、病態水準に達しているからクライエントの変容が見られないなどと言っている方がおりますが、そうなのでしょうか?

カウンセラーが自分の価値観や推奨している理論にあてはめてクライエントを評価しているのではないでしょうか?

人間は知らず知らずのうちに、評価や判断をしてしまうものです。

原因を追究して、その人の可能性を潰してしまう事があります。

私も気づくと、そもそもその考え方が、その結果を招いてるんじゃないのか?って考えている事があって、「あっ!いかん!いかん!原因追究に入っちゃってるな〜」と戒めているのでした。

まだまだ未熟な私です。
「無知の知」を心しておきたいと思います。

自然治癒力

  • 2015.08.16 Sunday
  • 09:06
人間には無限の可能性があって、何か問題があれば自然に治す力を必ず誰もが持っています。

例えば、何か腐ったものを食べた時、下痢をしたり、吐いたりして外に出すようになっています。

ウイルスが入ってきたら、熱を出したり鼻水を出したりして外に出す機能が備わっています。

それを、熱を下げたり、鼻水をとめるために、すぐに抗生剤を入れたり、症状の対処を先に考えるのは、自然治癒力を弱める行為だと私的には思っています。

メンタルの不調もカウンセラーは、クライエントの依存性を増長させる関わりは避けるべきだと思っています。

先回りして、その人が考えるべき事を解決したり、いつでもどこでも対応可能な姿勢をみせるのは、依存性を増長させる行為なのではないかと思っています。

そもそも日常生活に登場しないのが、カウンセラーであり、産業カウンセラー協会で二重関係の禁止を掲げているのは、その意味もあるのではないかと思います。

※ 二重関係の禁止→ 友人や家族というようなカウンセラーとクライエント以外の関係の禁止。

日常生活に登場しない、そして、時間枠、チャージが発生するからこそ安心して心の声を話せるのだと思います。

カウンセラーは、いつでもどこでもじゃないけれど、カウンセリング中にどのような事を話してもそれを全力で受け止めて、クライエントの無限の可能性を信じて疑わない生涯の応援団なのです。

という事で何が言いたいかと言うと、人間は誰一人欠ける事なく無限の可能性を持っているってことです。

カウンセリングって何?続編

  • 2011.10.13 Thursday
  • 18:53
みなさ〜ん♪
お待たせいたしましたm(__)m
って、ちっとも待ってね〜ってか(笑)


 私の腎臓が機能不全になったという知らせは、最初に腎臓機能不全になったときと違って、先の見えない不安ではありませんでしたが、一度透析から解放された喜びを奪われた無力感がありました。

このときに、なぜかいつも忙しく時間のないはずの移植コーディネーター兼看護師が、いつまでも私のそばを離れずに、ただ黙って立っていたのです。

人前で気丈に振る舞う習慣のついている私にとって、思いがけず涙が溢れだしている姿を見せたくない気持ちと受け止めてもらっている安心感が交差している状態でした。
何か一言でも励まされたら、ただちに一人にして欲しいという気持ちか、貴方に何がわかるのよって気持ちになったと思います。

このとき自分の目指すカウンセラー像が
出来上がりました。

人が元来持っている自己治癒力を使って、自己を取り戻すためのお手伝いです。
激励や指示がなく、ただ気持ちを受け止めてもらえて、なける場所の提供です。

この自分が目指すカウンセラー像に1番近いと思えたのが、来談者中心療法です。

心理学を学びたいと思ったきっかけとなった「シーラという子」を読んでから、あれこれ悩んだ末、自分の目指す方向の確固たる信念が決まったことは、移植して失敗するという経験があったからです。

ピンチはチャンスと言いますが、本当にその通りだと思います。
                                                 おしまい♪

みなさん、長々おつきあい頂きありがとうございます♪
これからもみなさんの応援を支えに、頑張っていきまぁ〜す♪
 

カウンセリングって何?1

  • 2011.10.06 Thursday
  • 11:12
 はじめに♪
今日は、以前心配させたくなくて、言えなかった気持ちの部分に焦点をあてて、カウンセラーになりたい気持ちを記しておきたいと思いますので、少し長くなりますが、おつきあい頂けると幸いです

 心理カウンセラーになりたくて、8年(?)前に、高校へ行きなおし、そして、心理系大学にいきました。

初めは、卒業を目指し、まもなく大学院進学を目指しました。

大学3年のときに、移植の話がありました。
このときは、これで何の縛りもなく講義を受けられ、カウンセラーへの道が開かれたと確信して、移植手術の決意をしました。

移植手術は、大成功して、医師が驚くほど経過がよく、このまま私は、ほとんど健常者と変わらない生活が出来て夢に向かって、躍進していくものと思っていました。

ドナーやドナーの家族に感謝、私の家族や友人に感謝、そして、天を仰ぎ生まれてきた事に感謝しました。

すべて順調に進んでいた私に陰りが出たのは、移植後2、3週間経ちそろそろ退院予定のころでした。

ペットの鳥としばらく離れなければならないと看護師から言われて、落ち込みました。

その前後には、ステントと言われる身体に入ってるものが、予定の時期にはずれないというトラブルがありました。

それでもなんとか無事、退院して、しばらくは、感染に気をつけながらも順調に過ごしていましたが、あるとき、定期検査の外来受診で、拒絶反応が疑われ、緊急でパルス療法をしました。

このときから拒絶反応と感染症との戦いが始まりました。

そんな中で、まさにこのために、移植を決意したともいえる大学のスクーリングの時期を迎えることになりました。

なんとかそれまでに治したいという思いが届かず入院になりました(;_;)

このときのショックは、もしかすると親が亡くなったときの哀しみより大きかったかも知れません。

人にはわからないかもしれないけど、入院がショックだったのではありません。
スクーリングにいけない事が、無念だったのです。

私は、このとき、自分の夢を諦めなければならないのかと感じたからです。

 スクーリングに行けなくなったので、、認定心理士資格を諦めて、ストレートに卒業するか、もう一年留年して次の年に、スクーリングをうけるかという選択をする事になりました。

ほとんど単位修得していた私は、一緒に勉強してきた同期生と一緒に、ストレートに卒業したいという気持ちはありましたが、認定心理士資格取得も諦めきれず、留年する事にしました。

誰のせいでもなく、自分の身体が思い通りにならない苛立ちも手伝い、移植後の経過が順調とは言えなくなりました。

一通り処置が終わり退院になりましたが、経過はよい方向には向かわず、退院から半年後、最後の悪あがきのような入院治療の後、移植した腎臓もまたその機能が不全の状態になってしまいました。

「また、透析に戻るかもしれません」と言う医師の顔は、私以上に落胆の様子を浮かべていました。

そして、それ以上に神妙な面持ちで私の横に立っていたのが、移植コーディネーター兼看護師でした。

つづく・・・



 

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