Not OKな私・・・
- 2013.09.26 Thursday
- 11:15
こんにちは〜
食欲の秋ですね(^^)
私の借りてる駐車場で、隣りの車がななめだったり
私の車のドアが開けられないぐらい近づけていて
毎回、ちょっとイラッとしているオルカです、どうもm(__)m
自分と他人をどのように感じているか、人間と人生に対する基本的な立場で
行動を起こす基を、エリック・バーンは、
人生態度(ライフ・ポジション、生活態度)として
乳児期から幼児期にかけての養育者とのふれあいを通じて培われるとしています。
その人生態度は、
I am OK, You are OK with me(私にとって私は、OK、あなたもOK)
I am not OK, You are OK with me(私にとって私はOKではないが、あなたはOK)
I am OK, You are not OK with me(私にとって私はOKだが、あなたはOKではない)
I am not OK, You are not OK with me(私にとって私はOKではない、あなたもOKではない)
私は、小さい頃から20代ぐらいまでは、
「私は、OKでないが、あなたはOKである」という人生態度でした。
常に、「みんな輝いているのに、どうして私はダメなんだろう」的な思考で
他人が羨ましくて、羨ましくて劣等感のかたまりでした。
私の母は、私を生んで3日ぐらいで働きに出ていましたし
記憶の中には、小学校低学年で病気で寝込んでいた時に
一人で心細かったことを覚えています。
虐待は、ありませんでしたが、ふれあいが極端に少なかったと思います。
そして、中学生で不良になりました。
だから、自分を振り返っても、エリック・バーンの理論が理解できます。
まえに、17歳のころに、自殺未遂(たぶん死ぬ気はなかった)をした話を
このブログに記しましたが
その頃は、「私は、生まれて来なければよかった」という
私は、OKでないという気持ちだったと思います。
では、なぜ、今は、
I am Ok You are OK with me な立場なのかというと
20代後半に出会った「マーフィーのゴールデンルール」なのです。
毎日、毎日、私は、大丈夫、私は、幸せになるために生まれてきた。
きっとよいことが起こる・・・などなどを
リラックスした状態で、自己暗示、自己催眠をかけ続けてきました。
自分と未来は、必ず変えられるのです。
長い間、おつきあいありがとうございます。
食欲の秋ですね(^^)
私の借りてる駐車場で、隣りの車がななめだったり
私の車のドアが開けられないぐらい近づけていて
毎回、ちょっとイラッとしているオルカです、どうもm(__)m
自分と他人をどのように感じているか、人間と人生に対する基本的な立場で
行動を起こす基を、エリック・バーンは、
人生態度(ライフ・ポジション、生活態度)として
乳児期から幼児期にかけての養育者とのふれあいを通じて培われるとしています。
その人生態度は、
I am OK, You are OK with me(私にとって私は、OK、あなたもOK)
I am not OK, You are OK with me(私にとって私はOKではないが、あなたはOK)
I am OK, You are not OK with me(私にとって私はOKだが、あなたはOKではない)
I am not OK, You are not OK with me(私にとって私はOKではない、あなたもOKではない)
私は、小さい頃から20代ぐらいまでは、
「私は、OKでないが、あなたはOKである」という人生態度でした。
常に、「みんな輝いているのに、どうして私はダメなんだろう」的な思考で
他人が羨ましくて、羨ましくて劣等感のかたまりでした。
私の母は、私を生んで3日ぐらいで働きに出ていましたし
記憶の中には、小学校低学年で病気で寝込んでいた時に
一人で心細かったことを覚えています。
虐待は、ありませんでしたが、ふれあいが極端に少なかったと思います。
そして、中学生で不良になりました。
だから、自分を振り返っても、エリック・バーンの理論が理解できます。
まえに、17歳のころに、自殺未遂(たぶん死ぬ気はなかった)をした話を
このブログに記しましたが
その頃は、「私は、生まれて来なければよかった」という
私は、OKでないという気持ちだったと思います。
では、なぜ、今は、
I am Ok You are OK with me な立場なのかというと
20代後半に出会った「マーフィーのゴールデンルール」なのです。
毎日、毎日、私は、大丈夫、私は、幸せになるために生まれてきた。
きっとよいことが起こる・・・などなどを
リラックスした状態で、自己暗示、自己催眠をかけ続けてきました。
自分と未来は、必ず変えられるのです。
長い間、おつきあいありがとうございます。
私も赤ちゃんの頃は、目の見えない母方の祖母だったと思います。
あの人にこう言われた!あの人が、これこれの態度から、そんな態度とらなければいいのに〜!などと思って、他人を変化させる事に、エネルギーを費やすことより、自分を変えるほうが、はるかに効率的なんですよね〜
昨日、母に電話でそんな話をしたばかり(苦笑)
もう70代も後半なので、今から変わるのは難しいとは
思うんだけどね。
私自身は乳幼児期はほとんど父方の祖母の手で育てられたような
ものなので(相次いで妹、弟が生まれたため)
影響を受けているとしたら母でなく祖母かな?
母については、それこそ「反面教師」にになってる感じ。
さすがに口に出して言うことはないけど…ネ(苦笑)
ホントですか?
こういう話を夜を・・・じゃなくて、昼間長時間話しましょうね(夜は寝たいので(笑))
おぎゃーと生まれた時は、自分と他人との区別もつかないのですが、そもそもは、言語から態度からまずは、養育者から修得(コピー)していくのですよね。
養育者や廻りのコピーを、していきますが、次第に自分でものごとを考えられるようになります。理性的に考えられるようになって、判断して修正できることも、もちろんありますよね。
私も反面教師で、親の嫌な部分は、意識して、反対の行動や思考をとっている事があります。
だから、やっぱり過去と他人は変えられないけど、自分と未来は、変えられるのだと思います。
というのは、長年いろんな人を見て、いろんな場で実感するわ〜。
『ふれあい』の形や時間じゃなくて、『愛されている』という安心感を持って
育ったかどうか…というのが大きい気がする。
でも、「子供は養育者のコビーをして成長していく」というのは、
『反面教師』というのがあるから、・・・そこは複雑。
私は母の(私から見ての)問題点を反面教師にしてきたからね〜。。。
こういう話を夜を徹してしたいねっ!(笑)
そんなの本当に見たいの?
ほいじゃ、今度見せるよ( ^∀^)
昔のお写真ぷりーず♡
自分に対する基本的な信頼感を、ちーたさんが持っているのは知ってました(^o^)
ちーたさんのブロクをみて、私もそんな気がしていたので、見たいと思ってました(^.^)
そもそも学習は、模倣なんだから、当然といえば当然ですよね〜
その私は産休だけで仕事に復帰してるんで、息子ははたしてどうだろうとちょっと気になる。
乳児期から幼児期にかけての養育者とのふれあいが、人の心をそだてるっていうのは、映画「ATARU」でも描かれていたと思うよ(汗)
そうそう当時は、そんなに、いなかったんだよね〜
誰もいない家に帰るのは、寂しかったねな〜
それに、夜はとても怖かったんだよね。
そう、それも心理学的には、何かあります(^_^;)
結局、子供は養育者のコビーをして成長してくのです。まさか隣の家のおばさんとそっくりになるわけないし(笑)
写真みせるね(^.^) 笑っちゃうわよ("⌒∇⌒")
昔だから、あの不良少女役の伊藤かずえみたいな感じだったのかな?(笑)今度、写真見せて〜♪
私の親も共稼ぎで(当時はそんなにいなかったよね。)冬の寒い日、帰宅して一人でマッチでストーブに火をつけて暖めるとき、寂しかったな〜。
自分は絶対に子供が出来たら、手作りのおやつを作って子供が学校から帰ったら「おかえり〜!」って出迎えるんだ!って思ってたのに。。結局、母と同じで。すぐに仕事始めちゃった!
母と同じこと、してしまった。。これも心理学的にはなにかあるのかな??