白夜行

  • 2011.10.19 Wednesday
  • 17:36
久々の透析ちうの更新です(^^)

白夜行は、現在昼間再放送中のドラマです(^^)

東野圭吾(字が間違えだったらごめんm(__)m)さんが、大好きで、必ず切なく苦しい気持ちになるんだけど、麻薬のようにはまってしまいます(^_^;)

このドラマ、見れる時にみて、ブルーレイにも録画しているので、何回もみています。

りょうという男の子が、仲良くなった女の子ゆきほが、母親に強要されて売春(ドラマではあからさまには、そういう設定ではない)をしていてる現場をみてしまいます(;_;)

そして、その相手が自分の父親で、気がつくと自分の父親をさしてしまうという衝撃的な始まりから、その罪を隠すために次々と犯罪を犯してしまう悲しすぎる話なのです。

東野圭吾の作品には、犯罪の影に、いつもこんな哀しい現実が隠されているような話が多くて、このドラマなんて、最初から号泣しながら観ています。

こんな哀しい気持ちを抱えているのが、辛くて思わず、書き出してしまいましたm(__)m

と打っているうちに、落ち着いてきました(^^)

みなさん、いつもありがとうm(__)m

では、あと四時間ぐらい透析うけながら、グダグダしてま〜す(^o^)


カウンセリングって何?続編

  • 2011.10.13 Thursday
  • 18:53
みなさ〜ん♪
お待たせいたしましたm(__)m
って、ちっとも待ってね〜ってか(笑)


 私の腎臓が機能不全になったという知らせは、最初に腎臓機能不全になったときと違って、先の見えない不安ではありませんでしたが、一度透析から解放された喜びを奪われた無力感がありました。

このときに、なぜかいつも忙しく時間のないはずの移植コーディネーター兼看護師が、いつまでも私のそばを離れずに、ただ黙って立っていたのです。

人前で気丈に振る舞う習慣のついている私にとって、思いがけず涙が溢れだしている姿を見せたくない気持ちと受け止めてもらっている安心感が交差している状態でした。
何か一言でも励まされたら、ただちに一人にして欲しいという気持ちか、貴方に何がわかるのよって気持ちになったと思います。

このとき自分の目指すカウンセラー像が
出来上がりました。

人が元来持っている自己治癒力を使って、自己を取り戻すためのお手伝いです。
激励や指示がなく、ただ気持ちを受け止めてもらえて、なける場所の提供です。

この自分が目指すカウンセラー像に1番近いと思えたのが、来談者中心療法です。

心理学を学びたいと思ったきっかけとなった「シーラという子」を読んでから、あれこれ悩んだ末、自分の目指す方向の確固たる信念が決まったことは、移植して失敗するという経験があったからです。

ピンチはチャンスと言いますが、本当にその通りだと思います。
                                                 おしまい♪

みなさん、長々おつきあい頂きありがとうございます♪
これからもみなさんの応援を支えに、頑張っていきまぁ〜す♪
 

カウンセリングって何?1

  • 2011.10.06 Thursday
  • 11:12
 はじめに♪
今日は、以前心配させたくなくて、言えなかった気持ちの部分に焦点をあてて、カウンセラーになりたい気持ちを記しておきたいと思いますので、少し長くなりますが、おつきあい頂けると幸いです

 心理カウンセラーになりたくて、8年(?)前に、高校へ行きなおし、そして、心理系大学にいきました。

初めは、卒業を目指し、まもなく大学院進学を目指しました。

大学3年のときに、移植の話がありました。
このときは、これで何の縛りもなく講義を受けられ、カウンセラーへの道が開かれたと確信して、移植手術の決意をしました。

移植手術は、大成功して、医師が驚くほど経過がよく、このまま私は、ほとんど健常者と変わらない生活が出来て夢に向かって、躍進していくものと思っていました。

ドナーやドナーの家族に感謝、私の家族や友人に感謝、そして、天を仰ぎ生まれてきた事に感謝しました。

すべて順調に進んでいた私に陰りが出たのは、移植後2、3週間経ちそろそろ退院予定のころでした。

ペットの鳥としばらく離れなければならないと看護師から言われて、落ち込みました。

その前後には、ステントと言われる身体に入ってるものが、予定の時期にはずれないというトラブルがありました。

それでもなんとか無事、退院して、しばらくは、感染に気をつけながらも順調に過ごしていましたが、あるとき、定期検査の外来受診で、拒絶反応が疑われ、緊急でパルス療法をしました。

このときから拒絶反応と感染症との戦いが始まりました。

そんな中で、まさにこのために、移植を決意したともいえる大学のスクーリングの時期を迎えることになりました。

なんとかそれまでに治したいという思いが届かず入院になりました(;_;)

このときのショックは、もしかすると親が亡くなったときの哀しみより大きかったかも知れません。

人にはわからないかもしれないけど、入院がショックだったのではありません。
スクーリングにいけない事が、無念だったのです。

私は、このとき、自分の夢を諦めなければならないのかと感じたからです。

 スクーリングに行けなくなったので、、認定心理士資格を諦めて、ストレートに卒業するか、もう一年留年して次の年に、スクーリングをうけるかという選択をする事になりました。

ほとんど単位修得していた私は、一緒に勉強してきた同期生と一緒に、ストレートに卒業したいという気持ちはありましたが、認定心理士資格取得も諦めきれず、留年する事にしました。

誰のせいでもなく、自分の身体が思い通りにならない苛立ちも手伝い、移植後の経過が順調とは言えなくなりました。

一通り処置が終わり退院になりましたが、経過はよい方向には向かわず、退院から半年後、最後の悪あがきのような入院治療の後、移植した腎臓もまたその機能が不全の状態になってしまいました。

「また、透析に戻るかもしれません」と言う医師の顔は、私以上に落胆の様子を浮かべていました。

そして、それ以上に神妙な面持ちで私の横に立っていたのが、移植コーディネーター兼看護師でした。

つづく・・・



 

PR

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< October 2011 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM