出前講師

  • 2014.06.27 Friday
  • 11:08

明日は、兵庫県に出張で〜す♪

半年ぐらい前に、オファーを頂き、まだまだと思っていたのが

いよいよ明日になりました(^0^)


もちろん、研修そのものを成功させられるかどうかも心配ですが

まずは、会場に辿り着くのかが、方向音痴のオルカにとっての心配事でした(^^;)

しかし、親切な兵庫県腎友会の皆さんのお陰で

新神戸の改札で、ぼぉ〜と立っていればよいようなので、

大変助かりました(^0^)


次の日のさっちゃん、いなたさんの講演をぜひ聞きたかったのですが、

お仕事で、日帰り出張になって、本当に残念です(:;)


では、兵庫県腎友会のみなさま

オルカは、精一杯努めさせてもらいますので

どうぞよろしくお願いしますm(__)m


今週は、連載をお休みするので、

最近のオルカの写真を掲載させて頂きます♪

やっぱり随分大人になりましたな〜(しみじみ)

連載第4回 床屋の看板娘

  • 2014.06.15 Sunday
  • 18:17

世の中、ワールドカップで盛り上がってますが、

私は、昨日のルーズベルトゲームに、泣かされました(:;)


みなさま、いつもこの自己満足日記に、おつきあい頂きありがとうございます。


連載を初めて、昔を振り返って、自分を深く理解できたように思います。

自分だけの日記として記せばいいのかも知れませんが

人に見せる文章を書くことも、私の言語スキルUPのために重要なので

もうしばらく続けさせて頂きま〜す♪


床屋の看板娘編


オルカの親の高校だけは卒業させたいという気持ちを裏切って、高校を中退した。

この時から、30代ぐらいまでは、学歴コンプレックスを抱えて生きていたように思う。

学歴ないんだから、人並み以上に頑張らなくっちゃって思っていたんだけど

何をしたらよいか具体的な目標があるわけではなかった(^^;)


みんな学校に行っているから、一緒に遊べるわけでもないし

とにかく、どこにも所属してない状態にも耐えられず

とりあえず働かなきゃって思って、友達が以前働いてた伊勢佐木町の床屋に

面接にいって、すぐに働きながら、通信教育で理容学校に行ったのだった。


その床屋さんは、キャバレー(当時はキャバクラはない)の店員やホスト、893、警察とか

伊勢佐木町ということもあって、商売をしているお客様が多く

バブル景気前だったけれど、チップだけで、一日数万円になることが多かったので

仕事の終わりに、店長がみんなを飲み屋に連れてってくれたりした。


17歳で働き出して、初めは「いらっしゃいませ」が恥ずかしくて言えなかった。

でも、すぐに慣れて、立ちっぱなしで身体はきつかったけど、何もかも新鮮ですごく楽しかった。

お店のみんなが、「オルカちゃん、こっち手伝って〜」と言ってくれて

タオル洗ったり、パーマの助手をやったり、シャンプーなどの下働きを

ちゃんと評価してもらえて、お客さまから、チップをもらったり(お店にわたす)

ぺちゃくちゃお喋りしたり、なにより遅くまで働くので

オルカは、いつのまにか寂しさを感じなくなっていった。


でも、その店は、技術者(スタイリスト)がたくさんいるから、

なかなか下働き以上の仕事をさせてもらえないように感じてきたのと、

人間関係のトラブルで辞めて、その後、金沢八景の床屋で働きだした。


伊勢佐木町の床屋さんは、上手いこと褒めて動かそうという人が多かったのに比べ

八景のお店の先輩たちは職人気質で、初めは目も合わせてもらえず、話かけられもせず辛かったが、

ここでは、次々仕事を覚えさせてもらい、理容師免許もここで取得したはずだ。

この時期オルカは、長時間労働をしていて、

8時間以上床屋で働き、終わって9時とか10時ぐらいから12時ぐらいまで

カウンターバーみたいなところで、週に何日かは働いていた。

お金が欲しいわけではなくて、一人の時間を過ごすのが嫌だったんだと思う。


この店では、同僚の女の子とある日、お店をボイコットした思い出ある。

なぜ、あんな事をしたのか覚えてないんだけど、お昼を食べたあと、二人で消えちゃったのだ。

当然、とんでもない大騒ぎになったんだけど、

同僚の女の子の家が、お金持ちで店主に、アパートみたな物件を安く売って、お咎めなしになった。


私はその後、居づらくなって、その八景の店をやめて、東戸塚の床屋で働き、

胃せんこうになってその店を辞めて、以後、床屋の仕事自体をやめた。

胃せんこうって、胃に穴があいちゃうんだけど、

もうどこが痛いのか、わからなくなるぐらい痛くて、気を失って

東戸塚の床屋から救急車で、運ばれたんだった。


原因は、たぶんストレスだったんだと思う。

その頃のオルカは、今と違って、他人中心に生きていて、神経をすり減らしていた。

その後は、ふらふらして定職につかず、中華街でウエートレスや

関内や福富町でホステスしてたり

ポーカーゲーム屋に、入り浸ったりちょっぴり自暴自棄な時代を過ごす。


そして、ある日、母が加入している保険の外交員さんから

「不動産屋の事務の仕事してみない?」と言われて、面接に行くことになった。


次回は、「OLって、楽なのね」です♪

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ
にほんブログ村

 

ピアサポート養成講座 第1回終了♪

  • 2014.06.10 Tuesday
  • 13:06
一昨日の日曜日は、ピアサポート養成講座でした(^0^)

人の役に立ちたい、仲間をサポートしたい!!
そして、学びたいという意識の高い受講生の方々のお陰で
無事、第1回目を終えることができました。
(もちろん、私個人の反省点はあります)

また、企画の段階から、私の意向を、ドストライクに受け止めてもらい
広告から会場設営、タイムキーパーそして私のリラックス状態を保つまでも受け止めてもらった
共同企画のじんらぼ所長さんはじめスタッフの皆様のお陰で
余分な心配をしないで、セミナーに集中することが出来て
本当に感謝の気持ちで、いっぱいですm(__)m

そして、陰ながらまた日向からでも応援して頂いた皆様
本当にありがとうございましたm(__)m

思えば、重要な場面で、いつも私は、「人」に恵まれます(^0^)
本当にありがたいことです♪

第2回も全力で務めさせてもらいます♪

という事で、今回は、恒例の連載をお休みさせて頂きましたが、
近いうちに更新いたしますので
また、覗いて頂けるとオルカが喜びます♪

さて、今日は、これから、ボランティア相談で、
神奈川県腎友会事務局へ、行ってきま〜す♪



 

連載第3回 「ネガティブ高校生」

  • 2014.06.04 Wednesday
  • 13:06

この間、年が明けたと思ったら、もう6月ですね♪

明日からは雨らしいです〜

最近、「パープー♪」とラッパを吹いて知らせる昭和を思い出させるお豆腐やさんが

水曜日にくるのを、待ち構えているオルカです♪

お高いけれど、美味しいのです(^^)


さて、恒例の連載第3回「ネガティブ高校生」です♪


札付き中学生になったお陰で、痴漢が寄り付かなくなったことだけは、よかったと思う(笑)

中3になって、高校へは行きたいと思い、なんとか山手のプロテスタントの学校へ行ったんだけど、

最初から、なんとなく馴染めずにいた。

小学校のときの一人ぼっちの感覚から、仲間の存在を感じられた中学を経て

再び「太平洋一人ぼっち」の感覚が蘇ってきたのだった。


自分では、更生したつもりだったけど

見た目(顔つき?)が、派手の私は、何かと教師から目をつけられるようになっていた。

オルカは、天然パーマなんだけど、それも派手に見える理由だったのかもしれない。

これは、まったくの濡れ衣だったんだけど、ある教師から

オルカが「本当は、くせ毛じゃないのに学校には、くせ毛って言ってるんだ」って

言っているのを聞いたぞって言われたり・・・

友人の上履きを、ほんの一瞬借りたら(私は借りたつもり)、教師から

どろぼう扱いされて、授業が受けられず反省部屋みたいなところで聖書よまされたり・・・

一番ショックだったのは、

友達と学校帰りじゃなく、一回家に帰ってから繁華街をうろついていたら

生活担当の教師が張り込んでいて捕まって(何も悪いことしてないのに)

その教師が、担任教師に電話して

「オルカと一緒だから注意が必要だ」と言っているのを聞いたときだ。

それから、その友人が離れていってしまったのだった(:;)


中学のときは、先生方が関わってくれたように感じたんだけど

高校では、私の人格を全否定されているように感じた。

今思うと、私は、いつも黙っているから、先生方も、もしかしたら恐怖だったのかもしれない。

自分が誤解されたら、言い訳したり、わかってもらうための努力をしなければいけなかったのかもしれない。

でも、そのときのオルカは、それが出来ずただただ内に篭っていった。

そして、自分の居場所がないように感じるようになったオルカは、

学校を辞めたいと思ったけれど、当たり前だけど家では、許してもらえず

兄からは、「坊主にして、ストレートのかつら被って学校へ行け!」と言われ

あやうく、坊主にさせられるところだったのだ(笑)


ある日、オルカは、ガスをつけっぱなしにして眠りについた。

もうこのまま、永遠に目が覚め無ければいいな〜と思いながら・・・

なぜか、その日に限って、早めに帰ってきた兄が、慌てて窓を開けている光景が記憶に残っている。

いつものように長い説教が始まったのか?

それとも殴られたのかは、記憶にないのだけど

その後、兄と一緒に、関内のハングリータイガーに行ったのが記憶に残っている。

ずっと、ろくなもの食べてなかったから、死にたいと思っていたはずのオルカは、

しっかり完食したのだった(笑)

だから、ハングリータイガー(神奈川県しかないかも)は、想い出の味なのだ。


この事は、もしかしたら両親に心配かけないように、兄の胸の中だけにしまっておいたのかもしれないが

その後高校を自主退学し、家にいるのが辛かったので、1週間ぐらいで

床屋に働きだしたのだった。


それでは、次回は、オルカは床屋の看板娘♪

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ
にほんブログ村


 

PR

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< June 2014 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM