めぐみの雨といいますが、どこかに集中しなくてもいいんだけどなぁ〜
雨が降って欲しいところに、異動したり出来ればいいのになぁ〜
こちらは、降ったりやんだりを繰り返しています。
さて、とある予定がなくなって、久しぶりに連載を再開いたします。
連載第12回「39歳主婦の高校生」
透析に、なってもいつか離脱出来るはずと思っていましたが、いい加減1年も続ければ、
これは離脱は、出来ないんだろうなと気づき始めます。
マーフィーのゴールデンルールに心酔している私は、
ネガティブワールドにハマる度に
「よい事を思えば良いことが起き、悪いこと思えは悪いことが起きる」を
思い出して、ネガティブな思いを打ち消していました。
「透析ってなぁに、私はどうなるの?」の回で、妊娠は諦めて下さいと言われたときは
ショックでしたが、その前に緊急で運ばれて病気が発覚したとき、
実は、「これで私は、頑張らなくても許されるんだ」って、心のどこかで
楽になった気持ちもありました。
それは、物事のよい点に焦点を当てるゴールデンルールが身についていたからばかりじゃなくて
実際に何が追い詰められていたものから解放された感覚がありました。
透析生活も慣れてくると、自己管理もできるようになって
体調も落ち着いてきて、同じクリニックの方から「腎友会」なるものを教えてもらい
気持ちを共有できる仲間が出来たり、気持ちも安定してきました。
透析の時間は、確かに片腕が自由にはなりませんし、ベット上で過ごさなければなりませんが、
「私が私のために、誰にも邪魔されず堂々と使える唯一の時間」とも言えるので、
本を読むようになりました。
そんな透析中に読んだある本「シーラという子」が、
その後の私の人生に、大きく影響を与えました。
透析になって、社会のお荷物になっているセルフイメージが心のどこかにあって、
私も誰かの役に立ちたい。何か出来ることがないかを求めていた私の心に
ストーンとハマった一冊でした。
「身体はボロボロかもしれないけど、精神は健康(?)だし、メンタルケアは出来るんじゃないの?」
誰かのメンタルケアがどれだけ大変な仕事なのかは、その時は思いもせず、
やりたい事が見つかった私は、心理カウンセラーを目指すようになりました。
そして、その後に読んだ「24人のビリーミリガン」「失われた私」「ジョニーの中の400人」などを
読み進めるうちに、心理学に強い興味を持つようになりました。
「心理カウンセラーになりたい」「心理学を学びたい」というこの思いは、どんどん揺るぎないものとなりました。
さぁ!!心理学を学ぶために大学へ行こう!!と思ったら
「あ(;´д`)!私は、高校中退したんだった」と思い出して、
慌てて、透析しながら行ける高校を探しました(笑)
実家の近くの県立横浜平沼高等学校には、通信制があって、授業のカリキュラムを調べると
なんとか通えそう(スクーリング)な時間スケジュールだったので、出願申込をしました(^^)
通信ですが、ちゃんと面接もありました(^^;)
オルカこの時、39歳主婦、ドキドキの面接風景です♪
県立平沼高校の1クラスに、30名ぐらいの10代〜40代ぐらいの男女が順番を待っていました。
先に面接を受けた人が、次に入る人を促すシステムだったように記憶しています。
前の人が促すときに、顎で指図したのが感じ悪かったので、
私は、「○○番の方、どうぞ」とエレベーターガールのように促したのを覚えています・
別の場所にある面接室には、同年代の男性面接官と60代ぐらいの男性面接官が二人いました。
ニコニコしながら面接室に入るオルカに面接官は、一般的な志望動機を聞き、最後に
面接官 「どうして、前の学校をやめたのですか?」と聞きました。
オルカ 「・・・20年以上前なので・・・ちょっと記憶の整理が・・・」
と言い終わらないうちに、
面接官 「あ、ま、いっかもう、昔の話ですからね・・・あはは」
オルカ 「あはは・・・そうですね〜」
という感じで、なごやかに面接が終わり、無事に高校生活が始まりました。
高校生活は、久しぶりの座学や体育の授業で、10代とか20代の子達とふれあうことが出来て楽しかったです。
目標があって行ったので、オルカはとても真面目に高校生活を送り、
札付き中学生だったオルカからは、考えられないような優秀な成績で卒業しました。
卒業式は、仲良くなった小学校の男の子を女手ひとつで育てている友人が、「卒業生の言葉」を述べ、
式が終わった後に有志で、先生を囲んだお食事会をしたり、
通学生とは違い派手なイベントではないですが、味わい深いものでした。
さぁ、これで、ようやく心理学を学べる準備が整いました。
次は、どんな世界がオルカをまっているのでしょうか?
すいませんm(__)m まだ、つづく・・・
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