みなさん、もう連載の事忘れちゃってますよね?
ですよね〜(^^;)
でも、連載って掲げたので、きちんと最終回で締めくくりたいと思います。
41歳から大学へ行き、腎臓移植そして移植腎の摘出、
そして、両親の死と学業もプライベートもてんこ盛りの密度が濃い大学生活が終わり
バーンアウトなのか、心にぽっかり穴のあいたような寂しい気持ちに浸っていました。
しかし、「あ(;´∀`)、グズグズしていられない。早く次の手を考えなくちゃ」と
産業カウンセラー養成講座に通うことに決めました。
産業カウンセラー試験には、実技と学科があるのですが、
養成講座に通えば、実技試験が免除になるものと思っていました。
(大学の同級生が、先に1年前に卒業していて、養成講座に行った人は、みんな免除になっていたので)
ところが私は、免除にならず、初回の産業カウンセラー試験にも
なんと学科と実技の両方とも落ちたのでした(TT)
今思うと、「ここで落としてくれて神様ありがとう」だったのです。
なぜかというと、悔しくって、悔しくって、猛勉強できたからです。
分厚いテキストのほぼすべてをリコーダーに録音して、透析中や運転中や家事など
聞いていられる時間のすべてを、録音した自分の声を聞いて過ごしました。
実技のほうは、ありがたいことに養成講座のメンバーが自分たちの試験がおわっているにも関わらず
ロールプレイにつきあってくれたり、大学の勉強仲間や多くの友人たちにつきあってもらったり、
ブログを見ていてくれる皆さんの応援もあって
今度は、なんとしても合格しなければならないという思いで再チャレンジしました。
これでダメなら、カウンセラーにはなるべきではないのかも知れないと思っていましたので、
合格通知を見たときは、
「私は、カウンセラーになってもいいのだ」と何か目には見えないどこかからの許しを得たように感じました。
ただこの時はまだ、遠い夢のような話で、具体的な計画も何もありませんでした。
プライベートでは、移植したあたりから夫婦関係のほうがギクシャクしていました。
ある日、情緒不安定だった私が、ずっと帰ってこない元夫に対して
こちらを振り向いてもらいたくて、通帳と印鑑を家に置いて家出をしたのをきっかけに
夫婦関係が氷つきだしました。
兄にも離婚を反対されていたし、私自身も一人では精神的にも経済的にも生活出来ないだろうという不安と
一方で、このままの結婚生活を続ける虚しさとの葛藤でずっと悩んでいました。
そして、安定した生活を捨てて、どうなるかわからない未来のほうを選んだのでした。
http://orukas.jugem.jp/?eid=183
「さぁ、これから、どうやって生活していけばいいのだろう!!」
とりあえず、どこかに就職するためにも役立つものと思い
離婚した翌年の1月から職業訓練校(パソコン)に行き、同時期に産業カウンセラー試験を受けて
その年の3月に合格通知がきました(^0^)
http://orukas.jugem.jp/?eid=205
心理職の就職先を、ハローワークで探しました。
障害者枠でも探してみましたが、まったく見つからず
これまた、どうなるかわからないけれど、やってみなければわからないという事で
石橋がなくても渡ってしまう無謀な私は、
メンタルカウンセリングのOruka's roomを開設してしまいました。
考えたら私には、計画性なんてありませんでした。
だけど、ずっと心の中に描いていた漠然とした夢に向かって
少しづつ進んでいるだけでしたし、これからも夢に向かっていくのでしょう。
まだまだ、夢の途中で何も成し遂げてはいませんので、
どうぞこれからも、未熟な私を応援して頂けると嬉しいです♪
みなさん、長期にわたりオルカの自叙伝におつきあい頂き
本当にありがとうございましたm(__)m
みなさんのお陰で、モチベーションを保ちつつ最終回を迎えることができました。
記事と何の関係もない兄ん家からのワンショット♪
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